寝子島怪異録（白影黒影編）｜リアクション

寝子島怪異録（白影黒影編）

　背を丸めて志波武道が通りを歩いていた。両手は黒いロングコートのポケットに入れて横手の店舗の連なりに目を注ぐ。
　うー、なんか寒いなぁ。こういう時は、あれだよね。白くて丸くて、モミモミできる肉まんが食べたい！
「ないなぁ～」
　目で探すものの、希望する店が見つからない。似たような見た目の酒饅頭には、違うんだよなぁ、と少し心が揺れながらも足早に通り過ぎた。
　先を急ぐように視線が前方に伸びる。店舗と店舗の切れ目、路地に何かを見つけた。
　ン、なんだ？　黒い何かが動いたのか？　また神魂カッ！
　頭に過った瞬間、猛然と走り出していた。細い路地を曲がった先に人影はなかった。
　見まちがい、じゃないかもしれないゾ！　出だしが遅れたから、もしかしたら、あの先の角を曲がって、なんてことはある！　水泳で鍛えた脚力に誓って、絶対に追い付いてやるゾ☆
　心の声に従って武道は走る速度を上げた。飛び出したポリバケツを身軽に躱し、路上でひしゃげた空き缶を跳び越える。全力に近い状態で右に身体を傾けた。靴底を鳴らして曲がると、更に奥深い路地へと突入した。
「身体が温まってきたネ！」
　走ることが目的であるかのように笑顔を見せた。
　武道は直感を信じて走り続ける。道なりに左へ折れた。直後に緩やかに減速。前方にいた数人が一斉に凶悪な顔を向けてきた。囲まれていた少年は頬を手で押さえている。遠目にも鼻血が見て取れた。
　あれは喧嘩って感じじゃなくて、一方的にやられてるっぽいからカツアゲかな。まー、こんな時はドッタノーって油断をさせて、出来た隙にろっこん使って収めるのが得策なんだけどネ。
　武道は友人にするように軽く手を上げた。
「弱い者いじめしか出来ない弱いヤツが、こんなところでなにやってんの？」
「誰が弱いって、このボケがッ！」
　少年の囲みは瞬く間に崩れた。全員が武道に向かう。少年はぺこりと頭を下げて急いで逆の方向に逃げていった。
「もしかして図星を突いちゃったのかな。ごめんねー、なんて全く本心じゃないけどサ！」
「俺らを舐めてんじゃねぇぞ！　ぶち殺されんぞ、クソが！」
「本当に単純だネ。ちょっと言われただけで、すぐ暴力とか。お決まりの展開ばかりだと飽きちゃうゾ☆」
　武道は口を開けて欠伸の真似をした。迫ってくる凶相に笑みを返す。
　なんでだろうなぁ。本当に楽しくなってきたゾ！　ボコボコにされる展開なのに、本当に困っちゃうナ☆
　余裕の笑みと捉えた一人が武道に殴り掛かる。行動を予測して僅かに顔を動かした。急所を外れた拳が頬にめり込む。
「……ふふ」
　笑って倒れない武道に左のフックが襲う。鳩尾は捉えられず、鍛えた腹筋で受け止めた。
「いいよ、いい。あんまり痛いんで、笑っちゃいそうだヨ☆」
「ふざけんじゃねぇよおおぉぉぉ！」
　こめかみに青筋を脈打たせた相手が拳を振るう。武道は致命的な一撃を避けて笑った。埒が明かないと踏んだ何人かが新たに加わり、暴力の嵐となった。
　少しずつ傷ついていく身体に武道はうっとりと目を細める。
　――この命を削り取られる感覚……最上で、最高だ。
　そんな自分に嗤えてくる。この間抜けが！　もっと痛みを受けろ！
「ハ、ハハハハハ！」
　発狂したような笑い声に全員が慄いた。血の滲む顔で尚も武道は狂気を撒き散らす。
「……俺のせいじゃねぇ」
　一人が声を震わせて走り出す。近くにいた者が後に続く。口々に自分の責任を否定して一目散に逃げ出した。
　武道は一人となった。ゆっくりと後方に倒れ込み、狭い空を眺めた。薄青い色に真っ白な雲が流れてきた。
「なーんか、目が覚めた感じだ。にしても、生きるってイタイもんだネ……はは」
　力のない声で笑って言った。