寝子島怪異録（白影黒影編）｜リアクション

寝子島怪異録（白影黒影編）

　とても静かな夜に朝鳥さゆるは目を覚ました。枕元に置いたスマートフォンは日曜日の午前二時を表示している。前髪に指を入れた状態で上体を起こし、不機嫌な様子でベッドから下りた。
　卓上のコップに目が留まる。半分程の水が入っていた。その側には真新しい睡眠薬の箱が置いてあった。
　そっと箱を手に取る。手の中で弄ったあと、握り潰して近くのゴミ箱に投げ入れた。
「役立たずに用はないわ」
　さゆるは腕を組んだ。黙って辺りを眺める。表情が息苦しさを訴えた。部屋は薄暗い水底のようであった。
「……眠れないのなら」
　さゆるは白い厚手のダッフルコートに身を包んだ。髪は手で整えて早々に自宅を後にした。

　空には月が出ていた。夜中の太陽のように控え目に輝いている。見上げたさゆるの表情が穏やかになった。
　人のいない街を気ままに歩く。ふと足を止めて一点を見詰める。その状態で近づいていった。
「黒い影は、気のせい？」
　店舗のシャッターに視線は固定された。
　その無防備な瞬間を狙われた。さゆるの口を大きな手が塞ぐ。同時に腰に腕を回されて後ろに引き摺られた。
「早くしろ！」
　仲間がいるようだった。路肩に停めてあった黒いワンボックスカーの後部に連れ込まれた。待機していたニット帽の若い男がパチンと刃を起こす。
「騒ぐんじゃねぇぞ」
　さゆるの眼前に折り畳み式のナイフをちらつかせた。連携に怠りはなく、車は急発進した。
「そそられる顔だな。中身はどうなんだ？」
　銀色の刃をさゆるの首筋に宛がうと、コートの合わせ目から強引に手を突っ込んだ。胸の辺りの生地が波打つように動いた。
「良い弾力だぜ。それに俺好みのサイズだ」
　ニット帽の男は喉の奥に引っ掛かるような笑い声を漏らした。身体を拘束していた巨漢が不満げに口を尖らせる。
「俺も楽しみたいんだけど」
「おまえは押さえていろ。山の中でいくらでもやれるからな」
「わかったよ。じゃあ、あとでたっぷりと味見するよ」
　さゆるは等身大の人形のように抵抗をしなかった。過酷な運命を受け入れているかのようであった。
　車が山道に入った。激しい左右の揺れが車内を襲う。さゆるを拘束する力が緩んだ。ナイフは見当違いのところを彷徨っている。
　さゆるは刃の煌めきに手を伸ばす。瞬く間に奪い取ったナイフでニット帽の男に切り付けた。片方の頬がぱっくりと真横に裂けた。車内に情けない悲鳴が起こる。動きを止めずに腰に回された巨漢の腕を真上から刺した。
　悲鳴が重なった。二人の男は患部を手で押さえて隅の方に逃げた。さゆるは無表情でにじり寄り、ナイフを相手に投げ付けた。
　落ちた凶器に二人は目もくれない。とうに心はさゆるの冷酷な報復で圧し折られていた。
「な、なにしてんだよ！？」
　運転手が怯えたような声を発した。バックミラーにはほんのりと返り血を浴びたさゆるの姿が映っていた。暗黒に染まった眼を前方に据える。蛇のように身体をうねらせて運転席と助手席の合間から顔を出した。
　車は激しく蛇行。片側の山肌に激突して停車した。運転手は飛び出したエアバッグの一撃で気を失っているようだった。
　さゆるは車内から出た。無表情で後ろを振り返る。巨漢は身を縮めた姿で、ごめんなさい、と謝罪の言葉を繰り返していた。ニット帽の男は頬を押さえたまま、雪山で遭難したかのようにガタガタと震えている。
　さゆるは空を見上げた。綺麗な月が見える。
「……なぜ、終わらせてくれなかったのよ……」
　どこか身体を痛めているのか。不安定に上体を揺らしながら山道を下りていった。

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