寝子島怪異録（白影黒影編）｜リアクション

寝子島怪異録（白影黒影編）

「今日は散歩日和ですねー」
　陽気な声で屋敷野梢が家から出てきた。明るい色の服で統一されていて軽装に近い。直後にスカートの裾を翻し、慌てて引き返す。
　二十分後、再び梢は姿を現した。モスグリーンのキャスケットを目深に被る。ベージュのトレンチコートの襟は立てて長い髪を中に収めていた。特徴のある緑の瞳は幅の広い黒のサングラスで覆い、同じく鼻と口もマスクで隠された。
　見事な男装であった。
「白い影の影響ですかねー。今日の私は正義の味方なのでーす！」
　薄青い空の一点を勢いよく指差した。何かを企むような笑みを浮かべる。
　また神魂の仕業ですかねー。正義の味方とかー、なんか面倒臭いこと自分で語っちゃっているんですけど。
　大体ですねー、何が善で悪なのかなんて、人によって違うんですよ。白黒はっきり分かれてるのはパンダだけです！　そうそうー、パンダで思い出すのは不遇なレッサーパンダさんですよねー。パンダの座をジャイアントパンダに奪われて本当に可愛そうで、なんて話は関係ないので頭の中から蹴り飛ばしまーす。
　梢は道に出た。
「それでは正義の味方を実行しちゃいますかねー」
　周囲の様子を窺いながら適当に歩き始めた。

　街中で鯖江連司が周囲に向かって呼び掛けていた。
「拙者は眼鏡の神の啓示を受けて眼鏡を無料で配っているでござる！　この機会に是非、眼鏡を試していただきたいのでござるよ！」
　通り掛かった人々は声の方に顔を向ける。連司の容姿に及ぶと視線を逸らし、足早に去っていった。
　連司は背が低く、かなり太っていた。厚みのあるダウンジャケットのせいで球体に近い。髪はボサボサ。分厚いレンズの眼鏡を掛けていて、見るからに怪しい雰囲気を醸し出していた。
「わかったでござる！　現物が見たいのでござるな！」
　連司は両頬を盛り上げて笑うと、足元に置いていたジュラルミンケースを開いた。中には多種多様な眼鏡が整然と並べられていた。行き交う人々にケースを傾けて見せ付ける。
　右手からトレンチコート姿の梢が現れた。連司はケースを開いた状態で抱えると急いで駆け寄った。
「貴殿は眼鏡さんでござるな！」
「まー、そうなりますかねー」
　梢は黒いサングラスの中央を指で押し上げる。周囲を気にするかのように小刻みに頭を動かした。
「その声は女性でござるか？」
「それはどうでしょーか」
　男装をしている状態なので言葉を濁す。連司は梢の平らな胸を見てすまなそうに頭を下げた。
「日本男児に失礼な物言いでござった！　すまない！」
「そっちの方が失礼な気もしないでもないですが、寛大な心で許します！　それはそうと、何をしているんですか？　こんなにたくさんの眼鏡を持って」
「これでござるか！　無料で配っている眼鏡でござるよ！　拙者、こう見えて『眼鏡さん教団』の寝子島支部長を務めているでござる！」
　誇らしげな連司の態度に梢は、そうですか、と冷めた声で返した。
「日頃から眼鏡の普及に努めているのでござるが、今日は気合の入り方が違うでござる！　拙者、白い眼鏡の神を見たでござるよ！　そのおかげで胸の中は眼鏡愛に満たされて、やる気が漲っているのでござる！」
「ああー、あの白い影ですか。実は私も見たんですよねー」
「やはり同志でござるな！　共に眼鏡の普及に邁進するでござるよ！」
　興奮した連司の眼鏡のレンズが白く曇る。その過剰な情熱は梢の心にも飛び火した。
「なんかー、やってやろうって気になってきたんですけど！」
「さすが同志でござる！」
　高揚した二人は道端で眼鏡の喧伝に励んだ。

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