【終業式】始めようと思ったときが始まり｜リアクション

【終業式】始めようと思ったときが始まり

【通知表のある風景〔二年三組編〕】

　そんな一部で騒然となっていた二組とは対照的に、二年三組の教室では静かにごく淡々と通知表の配布が進められていた。
「はい。それでは、次は――葉利沢さん」
「……はい」
　担任の大橋尚に名前を呼ばれ、葉利沢倫理子は短く返事をすると、静かに席を立ち、教壇へと向かった。
（……まだ気分が優れないわね。どうして校長の話っていつもあんなに無意味に長いのかしら……？）
　あまりに長すぎる校長の話に、倫理子がフラフラしていたところを先生の一人に発見されて保健室送りになってから、もう随分と時間が経っていた。
（もうだいぶ時間が経っているのにまだふらつくなんて……）
　内心で呟きながら、ふらふらとした足取りで大橋の前まで辿り着く。
「……葉利沢さん、大丈夫？　まだ気分が悪いなら、先に帰ってもいいのよ？」
「いえ、大丈夫です」
　おっとりした大橋の言葉に頭を振りながら、倫理子は通知表を受け取る。
「葉利沢さんは今期も成績優秀ね。体調を崩して休んでいた時期もあることを考えたら本当に素晴らしい成績だと思うわ」
　大橋は、ほかの先生達と同様に、通知表を渡す際に一言（というにはやや長い）コメントを述べた。
「この調子で来年からも頑張ってね。でも無理はし過ぎないように、ね」
「……はい。ありがとうございます」
　倫理子はあまり感情のこもっていない声で、軽く頭を下げた。
　通知表を受け取り、席に戻る。
「…………」
　特に躊躇いも感慨もなく、倫理子は通知表の中を開き見る。
（いつもと同じ、か）
　評定は４と５ばかりだった。
　学内では充分に優秀に入る成績だが、倫理子にとってはいつもと変わらぬ結果なのでさしたる喜びも悲しみもない。
（勉強は嫌いじゃない。問題を解くことに集中している間は余計な事を考えなくていいから）
　余計な事というのは、これからこの成績表を送らなければならない東京の家族や、その周辺で暮らす人々のことだった。
（そういえば、高校入学以来、実家には一度も帰っていない……）
　あと数か月もすれば、丸二年帰っていないことになるというのに望郷の念や郷愁といった感情はまるで湧いてこなかった。
　この休みも、倫理子は実家に帰りたいとは思っていなかった。
（忌まわしい過去しかない故郷には帰りたくない。帰ったところで、偽りの同情と汚された自分への侮蔑が入り交った感情にさらされるだけだから）
　二年前、ある出来事をきっかけに逃げるように寝子島にやってきた倫理子にとって、故郷の土は針のむしろでしかなかった。
「はい。それでは教室の大掃除を始めましょう。来年また綺麗な教室で再会するためにも一生懸命に頑張りましょうね」
　大橋の声掛けで、三組の教室でも大掃除が始まった。
　倫理子もまた率先して椅子や机を片づけ、丁寧に床に箒で掃いていく。
（掃除をすることも嫌いじゃない。手を動かしている間は余計な事を思い出さずに済むから）
　むしろ、そうしていないと、余計な事で胸が一杯になり、心が張り裂けてしまいそうで――。
「……」
　倫理子は冬の日差しを浴びて舞い上がる床の埃を目で追いかけながら、一心不乱に目の前の埃を掃き清め続けるのであった。