FEAR THE FORCE：前哨｜リアクション

FEAR THE FORCE：前哨

　宮杜ほのかは寝子高の芸術科１年女子。ごく一般的な、あたたかい家庭に生まれ育った。
　いささか目立つ少女である。というのもほのかは、ただそこにいるだけで人の目を惹かずにはおれぬ、群を抜いて美しい容姿と理想的なスタイルを兼ね備えているからだ。とりわけ、カメラのファインダーを通せばその可憐さが際立つ。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花――ほのかには、この言葉こそふさわしい。
　当然のごとく、彼女に対するモデルや芸能事務所からの勧誘はすでに始まっており、ほのか自身、いずれはアイドルへの道を踏み出したいと考えている。
　……いや、この末尾に関しては訂正すべきだろう。
　ほのか自身、いずれはアイドルへの道を踏み出したいと考えて……いた。
　ところが以前、最愛の弟を交通事故で亡くしてから、どうもほのかの様子はおかしいのだ。
　かつてほど快活ではなくなった。人前に出ることを好んでいた彼女が、このところめっきり出不精になった。あまり笑わなくなったし、発言する機会も事故前と比べると明らかに減った。
　そればかりか言動にも奇妙なものが現れ始めていた。一人称がときどき『僕』になり、男言葉で話し、うっかり男物の服に袖を通しそうになる。そればかりか、ややもすると男子トイレに入ろうとするのである（！）。
　両親を始めとしたほのかの周囲は、そんな彼女の翳りを、あまりに大きすぎる悲しみがもたらした一時的な錯乱だと解釈していた。なにせ弟が乗用車にはねられたのは、ほのかの目の前だったのである。平常でいられるほうが、むしろおかしいくらいだ。
　だから最近のほのかの変化、不思議なふるまいは、木から下りられなくなった猫のニュースのように、決して望ましいことではないがある意味仕方ないものとして黙認されている。
　いつかは元の、明るくてアイドル志望のほのかが戻ってくるのではないか、そんな風にうっすらと期待もされている。
　けれども――。

　この日、ほのかは家人には告げずに家を抜け出していた。
　きっかけは数日前、相互フォローしているねこったーユーザー『j_maxus』からの拡散メッセージである。
　j_maxusはほのかのソーシャルゲーム上の友達であって、実際の面識はない。けれど彼が見せてきた言葉、とりわけその、『過去に向かい合う』という一節はほのかの脳天に突き刺さった。
　もしかしたら、j_maxusは自分の秘密を知っているのだろうか――そんな不安すら湧き起こってくる。
　j_maxusには、プライベートのことなどほとんど話したことはない。それどころか性別すら曖昧にしているから、こちらがどんな人間かだって知らないはずだ。（反対に、j_maxusが中高生くらいの男子であることは、彼の発言からほのかは読み取っていた）
　そもそもj_maxusは、ほのか一人にダイレクトメッセージを送ってきたわけでもないのだ。ほのかに対する伝言とみなすのは考えすぎだろう。
　なのにこのとき、ほのかが寒気に襲われたのは事実だった。
　それをごまかすように、「ホンマか久藤！？」と漫画のネタを返しつつ、早くもこのとき、ほのかは当日、洞窟へ行く算段を立てていたのである。
　誰か相談できる人がいれば――と思わずにはいられない。それもできれば、年上の大人で。
　両親にうちあけたりすれば、それこそ病院に入れられてしまう恐れがある。寝子高の教師でも同様だ。
　――でも、あの人なら。
　彼女なら、話を聞いてくれると思う。無論、すべてを明かせばやはり心配されるばかりだろうが、過去と向き合うことについてなら、アドバイスをもらえるような気がする。親戚や学校の先輩ではない。以前、酔っぱらいに絡まれたとき助けてくれた恩人というだけのことだ。
　ところがそれをきっかけに親しくなり、以後、ほのかと彼女は、折に触れメールのやりとりをしたりしている。年齢はそれほど離れていないはずだが、周囲の大人よりずっと精神的に成熟しており、メイクも上手で、なにより、自分を魅力的にすることを知っている素敵な女性だ。
　けれど今回ばかりは、ほのかも相談することをためらった。夜は、彼女の仕事時間だからだ。同行を申し出られたら嬉しいが、それは彼女の邪魔をすることになるだろう。
　やはりやめておこう。
　ほのかはスマホの画面をしばらく見つめていたが、タッチパネルは押さずに住所録表示を消した。消える瞬間まで、カーソルは『泰葉さん』と書かれたところで点滅していた。

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