FEAR THE FORCE：前哨｜リアクション

FEAR THE FORCE：前哨

　洞窟内が禁煙とは聞いていない。
　硫黄の匂いがマッチを思い出させたからというわけではなく、単なる、普段の習慣としてマッチを擦った。両手で炎を覆って、咥えた煙草の先端を炙るようにする。蛍のような小さな火が、円形になるのにはそれほど時間はかからなかった。
　――まったく。玉葱の皮を剥き続けている気分だ
　最初の煙を一条、吐き出して藤堂静は洞窟内の奥部を見やる。

　これほど奥深いとは思わなかった。ほんの数分で終わると思っていた探索が、そろそろ三十分になる。それでも、洞窟の果てには行き着かない。
　あと少し歩けば、もう終わる気もする。
　だがその一方で、この闇には果てがない、という気もするのだった。
　ふと気にかかることがあり、静は鎖を引いて、その先端についているアッシュシリンダーを調べた。
　携帯用灰皿である。といっても、100円均一ショップで売っているような安物ではない。アクセサリーにもなる銀製で、密閉性の高い容器だから、中に入れたものの匂いが漏れることはあまりないはずだ。
　ちゃんと蓋は閉まっている。
　つまり、さっき入れたマッチはきれいに収まっているということだ。
　なのになぜ――硫黄の匂いが強まっているのか。
「！」
　反射的にスウェーして、静は飛んで来たものをかわしていた。ボクシングのフットワークでバックステップして拳を握る。
　生物……？　虫か？
　静の顔の側面を行き過ぎた甲虫が、方向転換に失敗して洞窟の壁に衝突した。
　コツッ、と音を立ててそこから展開する。
　クワガタに似ている。大きな顎があるから、オスだろう。
　――デパートに売ればかなりの金になりそうだな。いや、こいつを欲しがる子どもはいそうもないか。
　オオクワガタというより、海外のそれを思わせる黄色い外羽根をしている。それはいいとしても、足が妙に太いのでバランスも見た目もあまり良くない。だが最大の欠点はその大きさだろう。スイカほどもあるのだ。
　また来る。
　ジジ、と耳心地の悪い羽音を立てて、蟲はまた静に向かってきた。
　さてどうするか。
　クワガタの速度はあまり速くない。だがいつまでも、回避し続けているわけにもいかないだろう。だが武器になりそうなものはなかった。ハンディライトはあるが、下手に使って壊してしまっては、道を戻るのに難渋するだろう。
　――さて……。
　静が洞窟に来たのは、やはりねこったーの文章を見たからだった。
　バー『Holländer』の経営者でもある彼だが、もともと、あまりネット上の宣伝活動に熱心なほうではなかった。店で、グルメサイトの取材を受けたことが二度ほどあるくらいである（ほとんど喋らなかったので、静の言葉をまとめるのに記者は難渋したことだろう）。
　ところがねこったーについては、最近また交流の戻ってきた守本薫という元上司が、やたらと薦めてくるので半ば付き合いでの公式アカウントを設立したところなのである。
　やってみると案外面白いもので、昨日からはキャバ嬢の恋々（レンレン）とも相互フォローするようになっていた。
　そうして、拾ったのがAmritaのメッセージなのだ。
　アムリタというのは伝説上の飲みもののはずだ。それが気になる。
　過去と向き合うという言葉の意図も、知りたくなった。
　だからといって、こんな蟲の歓迎（？）を受けることになるとは、予想だにしていなかったが。
　攻撃こそ最大の防御。決して足場に恵まれた場所ではないので、静は重心を落としてファイティングポーズに入った。そうして、何度目かの突進をはかってきた蟲の、鋭い顎を紙一重でかわして顔面に拳を叩き込んだのである。
　乾いた音が鳴った。
　冷たい感触。平らな部分を選んで一撃したので、手にケガは負っていない。
　蟲は砕けた。
　かと思いきや、もう消滅してしまっている。感じた手応えが嘘であったかのように。
　静は驚かない。こういった事態は経験済みだ。
　以前、ここではないどこか別の世界で、静は異形の存在と戦ったことがある。そのときのことが思い出された。
　咥えていた煙草を唇から離す。先端の灰は、さっきの動きですべて落ちていた。
　――俺も老けたモンだ。
　自嘲が口の端に浮かんだ。二十代の頃なら、灰を落とすような無駄な動きはなかっただろう。
　じゃり、と背後で、土を踏む音が聞こえた。反射的に静は振り返るも、それが人間であると知って警戒を解いた。
　女性だ。
　それも、しとどに濡れている。
「途中で、滝をくぐり抜けてきた……から」
　朝鳥さゆるは、髪から雫を落としながらそう告げた。

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