守護霊が見える日｜リアクション

守護霊が見える日

　８　びんとろと錦鯉

　真鯉びんとろの実家は寝子島魚市場にある真鯉鮮魚店という魚屋だ。だが、びんとろは魚が大嫌いだ。実家を継ぐ気ももちろん無い。
　だが、たこは好きだ。
　特にたこ焼きは好きだ。大阪出身としてたこ焼きは外せない。この日も、びんとろは旧市街の参道商店街にある小さなたこ焼き屋の前にいた。１パック、２５０円。
「……な、おばちゃん！　一生のお願い！」
　その２５０円のたこ焼きを、びんとろは値切っていた。
「しょうがないねえ。じゃあ２３０円でどうだい？」
「おおきに！」
　上機嫌で小銭入れを出す。そこで、背後から声が聞こえた。
「情けないなあ、自分。たこ焼き１個買うのに値切るんかあ、せこいなあ……しかし」
　びんとろは、はあ？　と思った。どこの誰か分からないが、本当に大きなお世話である。顔を見てやろうと振り返る。
（一体誰や、面ァ拝んだらな……）
　…………
「ぬぁあ！？」
　びんとろはつい変な声を上げてしまった。彼の背後にいたのは、魚だった。錦鯉が、宙に浮かんでいる。このたこ焼き屋に、他には誰も並んでいない。喋りかけてきたのもこいつと考える他、ないだろう。
「……嘘やろ？」
「嘘やないで」
「！」
　錦鯉が喋った。確かに、口をぱくぱくさせて喋った。
（あ、あ、あ、あかん、俺、頭がどないかなってもうた……）
　頭の中がグルグルする。
「お、おばちゃん。おおきに…………また来るわ……」
　震える手で小銭をおばちゃんに渡し、ほかほかのたこ焼きが入った袋を掻っ攫って足早にその場を立ち去る。
　後ろを見ないようにして速度を下げずにとにかく歩く。だが、やっぱり気になってチラ見すると、肩の辺りに錦鯉が浮いている。
「……！！」
　逃げても。
「……！！」
　逃げても。
「…………」
　びんとろは歩く速度を緩めた。逃げるのは諦めた方が良さそうだ。ほかほかのたこ焼きが冷めてしまう。
　ちょうど、寝子島神社へ行く階段近くまで来ていたところだった。びんとろは階段に座り、たこ焼きを食べ始める。すると、錦鯉は首の傍で喋り始めた。陽気に、馴れ馴れしく途切れることなく益体もないことを喋り続ける。
「それでなあ」
　もぐもぐ。
「あんなあ」
　もぐもぐ。
「無視か。子供の頃からお前のことを見守ってる守護霊様の話やぞ、真面目に聞きや」
　見ない、いないことにしていたら、錦鯉はそう言ってびんとろの頭にちょこんと乗っかった。瞬時にびんとろは悲鳴を上げる。
「うわー！」
　頭を掻き毟るが、手は錦鯉をすり抜けて払いのけることができない。半ばパニックになりながら、びんとろは叫ぶ。
「俺は魚が大嫌いなんや！　やめろや！　……というか、え」
　錦鯉の言葉を思い出す。
「守護霊？　サラッととんでもないこと言うたぞ！」
　錦鯉はしれっと頭に乗っている。が、すぐにまた喋りだした。守護霊になる時は鯛の霊と戦ったとか、昔はまな板の鯉で店のおじさんとけんかしたとか、そんな話をしている。
（俺の守護霊が錦鯉とか嘘やろ……）
　耳を通るその話を耳から出しながら、びんとろは愕然としていた。大嫌いな魚が守護霊とは、怖気が――
（ん？）
　意外と、走らない。
　冷静に考えると、耳から出て行った錦鯉の話も結構面白かった気がする。
（……雑談くらいならしたろかな）
　びんとろは錦鯉と、大好きな野球チーム『浪速ベンガルズ』の話でめちゃくちゃ盛り上がった。
（……こいつ、なかなかイケるやん）
　この頃には、錦鯉に対する苦手意識はなくなっていた。
（かっこいい守護霊を期待してたんやけど……まあ、おもろい奴やし、許したろか！）