●普通科：２年２組

【空里花・Ｊ・見条の場合】

　教室に入ってきた空里花・Ｊ・見条は、わずかに左を向いて牛瀬先生の前に座った。空里花は肯定的な態度を取るときは右を、否定的な態度をとる場合は左を向いて話すという奇妙な癖がある。この進路相談の場に来たとき、彼女は自分の進路について、やや否定的な見方をしていた。
「見条さんやな。進路希望先は『木天蓼大学　法学部』、志望理由は」
「読み上げんなよ、恥ずかしいだろ」
　空里花は奥歯を噛み締めるようにそう言う。
　自分の夢を他人に知られる、さらに本人の前で口にされるというのは想像以上に照れくさいものだ。
　進路希望調査票の字は走り書き。その字を、牛瀬先生は好ましく思った。
「『……弁護士になりてーから』。うん。弁護士になりたいんか」
「まあどうやってなったらいーかもワカンねーけど。アコガレてたんだよな。……ワリーかよ。正直なところ勉強は大の苦手だぜ、でももしも、もしもなれるんならなってみてーよな……なあセンセーよどうしたらいいと思う？　諦めたらいいのか、それともよ……」
「諦める？　なんでや？　勉強でけへんと思っとるからか？」
「……」
「見条さんはな、勉強でけへんのと違うやろ。勉強でけへん、苦手やと思い込んどる。勉強に対して心の壁があるだけやないかという気がするなあ」
「……狙ってもいいのか、木天蓼大学法学部」
「あったりまえや。なりたいんやろ、弁護士。ちなみになんで弁護士になりたいんか、ワシに聞かせてくれるか？」
「弁護士には昔っからアコガレがあって。誰かを、それも困っている人を守るってのがイイよな」
　牛瀬先生は頷きながら聞いている。
「世の中、腕っ節だけじゃあ守れないモンもあるって親から言われててな。まあ、なんだうまく言えねーがこれがオレの『志望』だよ」
　言いきって、空里花はわずかに右を向く。照れくさいと思いつつも、自分の心を正直に伝えられた。それが少しだけ空里花に自信を与えた。
「見条さんの夢、しかと聞かせてもらったで。正直言うとな、今の成績だと木天蓼大学法学部はちょいと厳しい。だけど……やる気、ちぃと出てきたんやないか？　そんな顔しとる」
　そんな顔、してるか？　空里花はぐいぐい、と自分のほっぺたを両手で挟む。
　牛瀬先生はこの子は大丈夫だ、と確信しながら微笑んだ。
「道は、見えとるやろ。あとはその道を自信を持って歩けばええ。勉強のことなら、いつでも聞きぃ。ワシら先生ちゅうのは勉強教えるプロなんやからな」


【大天使 天吏の場合】

　大天使 天吏はすこし不思議な学生だ。
　歩き方もふわふわとやってきたかと思うと、先生の向かい側の席ではなく、窓際の机にほわんと腰掛けた。
「大天使さん、席こっちなんやけど」
「……ここの方が気持ちいい」
「せやけど一応進路相談やから、な？」
「進路相談……？　先生、お仕事ご苦労様です。……私のお話も聞いてくれるの？　うれしいな」
　そういいつつ、窓際の机の上で小首を傾げる。牛瀬先生は、もうええや、と天吏の方に向き直ると進路希望調査票に目を落とした。
「『大学進学希望。国立で生物学を専攻できる大学』、志望理由は『鳥ともっと仲良くなりたいから』……もう少し詳しく聞いてもええか？」
「……私は、鳥や動物と仲良くなりたい。でもお話しできないから、頑張って観察するの。だから生物学を専攻して、将来的にはマスターかドクターになって研究員になりたい、って思ってる」
　なるほど、と生物担当の牛瀬先生は頷く。大学で生物を専攻していた頃を思い出す。
「……女の子なのに男の子みたいかな？」
「そんなことないで。女性の研究者もぎょうさんおる」
「私には空白の一年があるし……」
　彼女の言葉に、先生は手元の資料を確認する。天吏は中学卒業間近になにやらあったらしく、１年遅れて寝子島高校に入学したらしい。そのことを、気にしているのか。
「フツウに就職するの難しそうだし、どうせなら自分の好きなことがやりたい」
「一年のブランクがあるからフツウに就職するのが難しいとは思わんが、どうせなら自分の好きなことがやりたいという考え方はワシも納得や。国立大学っちゅうことだが、具体的に行きたい学校があるんか？」
「国立にしたのはなんとなく。北海道とか遠い所、誰も私を知らない所に行きたいな……何故なのかは秘密。フフ」
　ふわふわと天吏は微笑む。遣り辛いなぁ、と牛瀬先生はぽりぽりと頭を掻く。もっとも不思議な子は不思議な子なりに上手いこと人生を渡っていくことも多いものだ。不思議なのだが。
「……あ、そういえば先生。最近人の言葉を喋る猫がいるってきいたの。ふふ、鳥類より舌の筋力がないのに不思議。鳥さんみたいに誰かに教えられてるのかな？　二足歩行してるとは聞いてないけど、脳の容量は大きいのかな？　頭でっかちな猫さんなのかな？」
　テオのことだが、牛瀬先生にはわからない。
　天吏が取り留めもなく話続けるのを先生はようやっと遮った。
「生物の話は興味深いが、時間も押しとってなー。すまんがそこまでな」
「……そう」
　天吏は物足りなそうな顔をするが、牛瀬先生は構わず仕事を続けてゆく。
「進路もだいたい方向が見えとるようやし、成績も……上位なんやなあ、大天使さん。あとはどこの大学を受けたいか、具体的に決めたらええな。研究員になりたいんなら、面白そうなことやっとる先生とか研究室とか、そういうの調べたらええかもしれん」
「……フフ。そうしてみる。……以上、ですか？　ありがとうございました」
「いや、窓から出たらあかん！」
　小鳥よろしく窓から退出しそうになった天吏を牛瀬先生は廊下側の扉から押し出す。
　それから、「話してみると理解できる子なんやけどなあ」と言いながら、彼女の進路希望調査票の志望理由欄に赤字でこう書き足した。

『夢は研究者。鳥や動物の研究がしたい』


【本宮 虎治……脱走】

「進路希望調査票も未提出な上に、脱走かいな。どこ行きよったんや……。しゃあない、とりあえず次や」


●普通科：２年３組

【八重崎 五郎八の場合】

「志望は『大学進学、国文学科（暫定）』、志望理由は『和歌を本格的に勉強したい』から、か」
「そうです」
　と八重崎 五郎八は姿勢を正して答えた。
「成績も問題なし、素行もよし、とワシからは何も言うことあらへんくらいなんやけど……そういや八重崎さんは京都出身やったな。進路について、親御さんとは話したんかな？」
「一応電話で実家とも相談しました。両親は『好きにしろ』みたいな感じで……ま、出来たら地元……近畿内で選んで欲しそうでしたけど」
「どの大学にしたいかはまだ決めとらへんから、『暫定』なわけやな」
「そうですね。まあ、和歌についてはもうちょっと本格的に勉強してみたい……ってのは有ります。『それを仕事に出来るか』と言われると痛い所だけど……かるたはプロ制度もないし……逆に言えば一生涯純粋に趣味として付き合っていけるって事ですが」
「ふむ」
「あ、でも教師になる、ってのはありかなって思ってます。ベタかもしれないけど古文教師になるのもいいし、そうでなくても休み時間とかに百人一首を教えたりも面白そう……かるた同好会とか出来たら顧問買って出たり……ともあれ、そういう意味でも『大学進学』『国文学科』が現状の希望進路なんです。……但しあくまで『暫定』……二年だしあんまりガチガチに進路決め打ちも何かもったいないと思いまして」
「八重崎さんは人生の中心に『かるた』があるんやね」
　そう言われて、はた、と気づく。そういえばそうだ。
「八重崎さんの言うとおり、まだ二年やから、希望進路が『暫定』でも構わへんと思う。ただ、その中心は大事にしぃ。未来とか、仕事とか、そういうのはその中心にくっついてくるもんやからな」
「はい」
　静かに返事をして。
　五郎八は心の中でひとつ、強く決意をしたのだった。