「イタリアの年越しは騒々しいけど、日本のは落ち着いたイベントが多くていいよね。ね、すみ？」



　そう、愛猫のすみに語りかけるのは星ヶ丘でオレンジ動物病院を営み自身も獣医を務めるジェレミア・ベルトーニで、肩に乗せたすみを撫でながら星ヶ丘マリーナに向かって歩いていた。人出が予想されるのもあって、すみには念の為リードを付けての外出である。
　日本の夜といえば、どこも明るいような印象があるけれど改めてこうやって明かりを落としてキャンドルの灯りだけというのも風情があって綺麗だとジェレミアは思う。
　それに、人工的な明かりがないだけでいつもより星が綺麗に見えるようだ。空の光と、地上の灯りどちらも美しいと思いながら綺麗に飾られたキャンドルの道を歩く。
　揺らめく灯りの厳かな雰囲気がゆったりとした時間を演出してくれているようで、気持ちもとても穏やかだ。年の終わりに、贅沢な時間を過ごしていると感じながら、ジェレミアは今年あったことを思い出していた。

「今年も島に暮らす色々なにゃんこたちと出会えたし、家族である猫も増えたし……概ね充実した良い一年だったねぇ。ね、すみ」

　みゃう、と肩の猫が名前を呼ばれて鳴くのを聞いて喉元を撫でてやると、すみはごろごろと気持ちよさそうにしている。それですら、今年あったいい事に含まれるようでジェレミアは優しい笑みを浮かべた。

「さて、キャンドルの灯りが増えていくのを見ながら年越し蕎麦を食べようか」

　そう言いながら、ジェレミアはケータリングの控え目な照明を目指して歩き出した。

「色々ありますね……ふふ、楽しみ……」

　そう呟きながら巫部 紫苑はマリーナのケータリングの前を歩いていた。甘酒、年越し蕎麦、お汁粉にサンドイッチにおにぎり、ラーメンやポテトに唐揚げと、見ているだけで口の中に唾液が溢れてくるようで思わずそれを飲み込む。
　星ヶ丘寮の忘年会を楽しんだ彼女は、そのあと普通に夕飯の買出しをしている時に偶然ここでキャンドルナイトが行われることを知り、夕飯をしっかり食べてから訪れたのだ。
　胃袋は大丈夫なのかと問われれば、大丈夫です問題ありません、と笑顔で答えるだろう。そう、彼女は女性が羨むスタイルを保っているのが不思議なくらいの底無しの胃袋と食欲を持っているのだ。
　ここへも、キャンドルの灯りを楽しみにきたというよりは、美味しいケータリングが出ているという話の方に食いついたのだ。
　そんな彼女の胃袋を刺激するように、ケータリングのいい匂いが鼻腔をくすぐる。

「どれから食べましょう……おにぎりが、お米が白くて綺麗ですね」

　ふらふらとお米に誘われておにぎりのケータリングへと向かい、シンプルな塩にぎりと鮭を頼んで頬張った。ふんわりと握られたおにぎりは、口の中でほどよい塩気と共に紫苑の味覚と胃袋を満たしていく。
　サンドイッチはパンがふわふわで具がぎっしりと詰まっていて食べ応えがあったし、ポテトも冷凍物ではなくその場で機械から押し出されたものを揚げていく、もちもちとした食感のどれだけでも食べれそうなポテトだ。

「次は……そうそう、年越し蕎麦を食べなくちゃですね♪」

　美味しい物を食べてご機嫌な紫苑は、少し並んでいる蕎麦のケータリングへと並んだ。すると前に並んでいる人……ジェレミアの肩に猫が乗っていて、こっちを向いてみゃあと鳴いたので紫苑は思わず、

「可愛い猫さんですね」

　と、声を掛けた。

「猫、お好きですか？」

　ジェレミアが声に振り返って紫苑へと話し掛ける。その言葉にはい、と紫苑が返事をすると、年越し蕎麦の列が進むまで、暫くの間二人は猫の話だったり、年越し蕎麦についての話で盛り上がったのだった。
　年越し蕎麦を受け取って、なんとなく二人で並んで食べる。一人で食べるのも美味しいけれど、誰かと食べるお蕎麦も美味しい物だ。

「へえ、長寿の願いを込めてるの？」
「細く長くという縁起の意味があるそうなので、健康長寿とか家運長命なんかの縁起を担いでいるそうですよ。諸説色々あるみたいですけれど」
「そういう見立ての文化が、日本の面白いところだよね」

　蕎麦を食べながら、紫苑も頷く。すると、すみがみゃう！　みゃう！　と、自分にも何か頂戴とばかりに鳴声をあげた。

「ああ、ごめんね。すみもお腹が空いた？」

　ジェレミアが持ってきていた猫用のおやつをそっと食べさせるのを紫苑は微笑ましく眺めていた。それから、辺りのキャンドルが全て灯されていることに気が付く。

「大晦日の夜に鐘を鳴らす以外にもこういうイベントがあるんですね……綺麗なものです……」
「そうだね、色んなイベントがあって素敵だと思うよ」

　大晦日の夜といえば除夜の鐘を連想するけれど、少し違ったイベントも素敵だと紫苑とジェレミアは思いながら食べきった蕎麦の入れ物をゴミ箱へと捨てる。

「ふふ、それでは私は向こうのお汁粉を食べに行きますね。ご一緒してくださってありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。少しの間だったけれど楽しい時間だったよ」

　軽く手を振って別れると、ジェレミアもすみと共にキャンドルの灯りを楽しむ為にゆっくりと歩き出すのだった。


　伊賀 解理は今年もやはり、彼が自分の傍にいないという事実にほんの少し……いや、かなり落胆していた。本当なら、このキャンドルナイトもそのあとに参加しようと思っている星呼祭も、恋人である彼と訪れたかったのだけれど。
　周囲を歩く人々の、カップルがやけに目に付いてしまって解理は思わず、

「ランタンと一緒に爆発すればいいさ！」

　なんてちょっと過激な事を呟いてしまう。それにはっと気が付いてから、いやいや寂しくなんてないぞと自分を励ましてキャンドルが灯されているマリーナの方へと歩いていった。



　カップルばかりだと思っていると、ふと見知った顔がいることに気が付く。

「あれ？　あそこにいるのはいいんちょこと北風先輩？」

　いいんちょもキャンドルナイトに参加しに来たのかなと解理は考える。もしそうなら、せっかくだし一緒に見て回れないだろうか。誰かと一緒ならちょっと遠慮するべきだけれど、生憎彼女の周囲にはそれっぽい人物は見当たらなかったので思い切って声を掛けてみることにした。

「こんばんは、いいんちょ……じゃなくって、北風先輩」
「あら、こんばんは伊賀さん。伊賀さんもキャンドルを見に？」




「はい、キャンドルを見てから星呼祭に参加しようと思って。あの……もし北風先輩がお一人なら一緒に見て回りませんか？」

　貴子は少しだけ考えてから、いいわと了承してくれた。
　もしかして誰かと一緒でした？　と問えば、気にしないで、大丈夫と言われたので、解理は遠慮なく貴子と一緒にこの夜を楽しむことにした。
　まずはキャンドルナイトだと、マリーナの方へと向かう。既にマリーナでは多くの人と、キャンドルの灯りが揺らめいていた。

「僕は聞くのも体験するのも初めてだからちょっと新鮮……かな？」
「私もよ。……どうして疑問系に？」
「いや、えーっと……」

　これを言ってしまうと、色々台無しになる気がしたけれど貴子は首を傾げて解理の返事を待っている。

「僕、猫鳴寮なので」

　多くは語らない。猫鳴館ではよく見る光景だ、などとは……！　貴子も何かを察したのか、そう、と短く返事をくれた。察しのいい先輩でよかったと解理は思いながら、貴子とキャンドルの灯りを楽しんだ。　
　確かにキャンドルの灯り自体は寮でよく見る光景だったけれど、こんなに綺麗に並べられた大量のキャンドルにはお目には掛かれないというもの。素直にその美しさに感嘆の声を上げている。
　十分に楽しんだあとは、ケータリングの年越し蕎麦と甘酒を楽しむ。

「年越しといえば蕎麦ですよね」
「そうね、それには私も同意だわ」

　二人でちゅるちゅると蕎麦を食べた後は、甘酒を飲んだ。
　解理の、甘酒も身体を暖めるだけじゃなく栄養満点でで夏場とかに飲むと夏バテ防止にも繋がる非常にいい飲み物だから、冬空の下で新年を越しても体調を崩しにくくもできるはずだ、という熱意ある解説に押され、貴子も一杯だけと甘酒を飲むのだった。