あの日の約束｜リアクション

あの日の約束

　スケートリンクの中央は適度に空いていた。人と衝突する心配は少ない。フェンスの近くは意外と混み合っていて、よたよたと歩いている者が多くいる。
「今日は貸し切り気分で滑るのです！」
　スケートシューズを履いた椿美咲紀がリンクの中央に向かって滑り出す。少し遅れて八神修が後を追った。
「滑っていると風が顔に気持ちいいのです」
　美咲紀はうっとりとした表情でやや速度を上げた。フェンスから少し離れたところで大きく曲がる。
「この爽快感が滑りの醍醐味ですね。すーいすいと背中に羽が生えたように速く滑れるのです」
「あまり飛ばすと危ないぞ。それと『滑る』を言い過ぎだ」
　後方の修の声に美咲紀は澄ました顔で口にした。
「一年生は気楽な身分なのです。受験を控えた三年生に滑る遊びは縁起が悪いので、今の内に滑りまくるのです！」
　気合を入れ直して美咲紀は更に速度を上げた。前方を確認してから後ろ向きに滑る。
「シュー君、ほらほら♪　こんなこともできちゃうのですよー」
「美咲紀、フェンスを見ろ」
　強張った表情で修は前方を指差す。美咲紀は氷の飛沫を上げて減速。フェンスに近い位置で緩やかに回る。
「ここで美咲紀選手の超美麗パーフェクトスピンが炸裂！　観客はすっかり魅了されて言葉を失ってしまったのです！」
「ドレスコートの裾が広がって、それらしくは見えるが。でも観客って、どこにいるんだ？」
　氷上に立った状態で修は苦笑した。その視線が少し下がる。美咲紀の白いパンツルックに向かってぽつりと呟いた。
「二本の大根みたいだ」
「こらー、ヤジを飛ばす観客は誰ですかー！」
「悪い、正直すぎた」
「全然フォローになってないのです！」
　朗らかな顔で修は逃げ出した。美咲紀は頬をほんのりと染めて追い掛ける。
「美咲紀は速いな」
「野菜作りで足腰を鍛えているのですよ」
「胸が俎板で軽いからじゃないのか」
「こらー」
　無邪気な追いかけっこは続き、修が僅かに速度を緩めた隙に美咲紀が追い付いた。
「私の脚力の勝利なのです」
「悪かったよ。お詫びの意味で温かいココアをプレゼントするよ」
「シュー君、ありがとう。ちょうど喉が渇いてきたところなのですよ。いいですよね、ココア。身体の芯から温まります」
　二人は揃ってリンクの外へと向かう。フィギュアスケートのペアを気取った美咲紀が最後に修を中心に回った。
　近くの自動販売機で修が缶のココアを買った。リンクを見ていた美咲紀に手渡し、二人は肩を寄せて飲んだ。
　修はリンクを見ながら口にした。
「今度はスキーにも行きたいな。休みになったら二人で滑りに行くか」
「いいですね。一年生は滑りまくらないと。その前に今日のスケートをとことん堪能するのですよ！」
「まだ滑るつもりなのか」
　美咲紀の笑顔に修は折れた。ココアを飲み終えた二人は再びリンクへと向かう。

　今日の約束は果たされ、また新しい約束が交わされたのだった。