風邪をひいた日｜リアクション

風邪をひいた日

　北条冬華は桜月のメイドである。
　その日も月の住居である星ヶ丘の寮に出勤したところ、着いて早々にため息を吐くことになった。
　布団の中に潜ったままの冬華から漏れる、熱い息に、ぼんやりした表情。
　聞けば夜更かししてゲームをしていたら、こうなってしまったのかもしれない——だそうだ。
（この前、雨で散々濡れてたので体調に気を付けてと怒ったのに、何をしてるのでしょうか……）
　お説教を始めたくもなるが、それは後回し。
　冬華はメイドらしく習熟した動きで、家事を始めながら主人へ声を掛けた。
「……月さん。医者に掛かった方がいいのでは？」
「やだ、お医者さん行きたくない」
「そうですか」
　——我が儘ですね。と続く言葉は飲み込んで、代わりに苦笑する。医者にかかるのを拒否する主人だったら、そこまで酷くならないように面倒をみてあげるのが、メイドの務めだろう。　

「さて、ご飯の時間ですよ。はい。口を開けて」
　ふーふー息を吹きかけたスプーンを冬華に差し出されて、月は少し気恥ずかしそうに躊躇いつつも「あーん」と口を開く。
　出された分はそうやって全て平らげた。薬も苦いと言いつつ、きちんと飲んでいる。
　健康か不健康かの指針たる食欲はあるのだと分かると、冬華は内心安堵して、次に濡れたタオルを準備した。
　その間に月はパジャマの上下を脱ぎ、ベッドの上に座る。
「これでいい……？」
　長い髪をまとめて肩に掛けてずらして伺った途端、月の背中に違う温度が滑った。
「ふうっ！」
　思わず声が出たのは、驚きだけでなく冷たさからくる心地良さからだ。風呂に入れない状態だと、濡れたタオルで拭いて貰うだけでもかなり違う。それに冬華は、汗のたまった箇所を的確に綺麗にしてくれるので良い。
　自分の身体が思う通りにならないというストレスごと、洗い流してくれるかのようだ。
「あとバンザイして下さい」
「えっ……、両手を上げる？　大丈夫だよ、前は自分でできるから」
「汗のあとが酷いんです。胸の部分も拭いてあげますね。ほら。下着も脱いで下さい」
　冬華の方は冷静な目で指示をしてくる。月は視線を漂わせて「でも……」と小さく口の中で反論を呟きかけるも、結局ままならない身体で何かをするのは難しく、大人しく従うことにした。
　
　
　その後——、
　すっかり全身拭いて貰った月は、洗いたての下着とパジャマに袖を通し、もう一度布団の中に潜り込んだ。
「何かあったらまた呼んで下さいね」
　月が空にしたコップを盆に片付けて、冬華は立ち上がりかける。そんな様子を見ていた時、月の唇から「……あ」と小さな声が漏れた。
「何か？」
　首を傾げる冬華へ、月は自分の気持ちをどう伝えたものかわからない。
　——このまま彼女が居なくなったら、自分は独りになってしまうのか。そう胸に過ぎった瞬間に寂しさが濁流のように溢れ出してきたが、月はそれを言葉に出来ず、口をぱくぱくと開いては閉じる。
　結局形にならないものは出さず、御願いだけを伝える。
「…………寝るまで手を繋いでてくれないかな？」
　お願いに差し出された手を大事そうに握ると、やんわりと握り返してくれる。繋がる温かな感覚に安堵したように、月はやがて眠りに落ちていた。

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