風邪をひいた日｜リアクション

風邪をひいた日

　ある日の放課後。
　市橋誉はドラッグストアを訪れていた。熱が無いのは体感でも分かるが、気だるさと節々に若干の痛みを感じる。これらが風邪の引き始めの症状だと経験上思い当たると、彼は直ぐにマスクを着用して、ここへ買い物にやってきたのだ。
　慎重に行動するのは彼がしっかりした性格だからという他にもう一つ。これを口実に両親に実家へ連れ戻され無いようにする為でもある。
　ともあれ、夕食の買い物だ。
　風邪に効くレシピを頭の中で描いて材料を一つずつ手に取っていた折、彼の視界に薄茶色の髪をした寝子島中学の学ラン姿を映った。
（……あれはイリヤ？）
　自分の風邪を移さないようそっと距離を取って、誉はイリヤ・ジュラヴリョフへ声をかけた。

「そうか、エリ先輩とレナ先輩が……」
　二人の兄エリセイ・ジュラヴリョフとレナート・ジュラヴリョフの為に風邪薬を持っている白い手を一瞥していると、イリヤの方も誉のマスクを見て同じ質問を返した。
「誉さんも、風邪をひきましたか？」
「ああ、ひき始めだろうな。だから風邪に効く料理でも作ろうかと思ってたところだ」
「風邪に効く料理？　お粥？」
「かきたまにゅうめんだよ。鶏むね肉、しめじ、豆腐入り。喉の痛みがある時は、するっと食べれるにゅうめんに限る」
「にゅうめんって、うどんの友達？」
「友……多分？　友達かな…………」
　イリヤがこくこくと頷いて納得している様子を見せると、誉は考えていた料理を一通り口に出す。
「あとは葱と生姜のスープ。りんごのヨーグルト蜂蜜掛け。
　それからジンジャーとミルクを入れた甘酒。甘酒の成分は点滴と似てるんだとか……昔、兄貴が言っていた。レンジで温めるだけで美味しくなるし」
「蜂蜜と牛乳は良いですね。バターと一緒に」
「バター？　ってあのバターで良いんだよな？」
「はい、バターと蜂蜜と牛乳を混ぜる。美味しいですよ。あとは蜂蜜ならレモンと一緒に紅茶に入れると、風邪に効きますね。
　いっぱい甘くするといいです」
「甘いものが欲しくなるよな。栄養云々は置いておいて、フルーツとか、アイスクリームとか……」
　誉がそれらをホワホワと思い浮かべていると、イリヤは急に彼の方へ一歩詰めて、灰色の瞳でじっと顔を見つめてきたた。
「喉が痛い時、冷たいものはダメですよ」
　誉は一学年下の少年が見せた謎の勢いに気圧されてとりあえずで頷いたが、イリヤはまだ腕を組んで眉根を寄せている。原因はやはりこれだ。
「……兄さんたちも調子悪いからって、冷たい水とかスポーツドリンクとかばかり飲むから、あんなに悪化するんだ」
「でもそう言う時もあるだろう。たまたま運が悪かったとか」
「それは分かってるんです……でも——！」
　イリヤは家族に対して溜まりに溜まったフラストレーションを言いかけて、自分で反省したらしくすぐに口を噤んで話題を変える。
「でもフルーツは良いですね」
「ビタミンを摂れるからな」
　そこでイリヤは持っていたスーパーのビニール袋を持ち上げて、中身を見せた。丁度時期とあって赤々と熟れた苺が詰められたパックが、二つも入っている。
「朝、これが食べたいって言っていました」
「先輩たち苺が好物なのか」
「——とても」
　神妙な面持ちで答えてから、イリヤは何かを思い出したらしくぷっと吹き出した。誉の万全でない調子もあって、二人の会話は此処で終わりだ。
「レナ先輩とエリ先輩にお大事にと伝えてくれ。病人は甘えたがりだけど、イリヤも無理せずにな」
「はい。凄く凄く凄く甘えたがりだけど、無理しないで頑張ります！
　誉さんも、今晩はゆっくり眠って下さい」
「一晩で治してみせる」
　宣言する誉に笑って、イリヤが手を振りながら遠ざかっていく。それを暫く見守って、誉は踵を返し、ふと頭の中にあの赤い煌めきを思い出していた。
（俺も買っていこうかな。いちごミルクなんて良いかもしれない）
　

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