天使が瞳をひらくとき｜リアクション

天使が瞳をひらくとき

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「おや、古き教会ですか」
見かけてふと気になって、白薔薇に覆われた廃墟を訪れた深縹露草。つい入ってしまっただけで、ここが教会だったなどとは露も知らなかったわけなのだが。
露草の視線が、ひっそりと佇む天使像を見つめる。
「……天使様に懺悔するのも、良いかも知れませんね」
自然とその足は、天使像に向かっていた。そうして、その前にそっと跪く。
今、露草は自分の意志でこの島で一人暮らしをしている。木天蓼大学芸術学科に入学するため、アルバイトや節約に励んで学費を貯めているのだ。
いるのだが、実は。
本土で暮らす両親や姉に、「学費は出すから、お金の事は気にせず大学に行け」と言われているのだ。つい先日も、電話でまた話をされたばかりで。
その提案を、ありがたいとは思う。両親や姉のことは大好きだし、悪関係故に提案を受けたくない、受けづらいわけではない。
しかし、
「私は……とても怖いのです。　私以外の誰かに、私の事で大金を払わせるのが…」
絞りだすように言葉を吐き出した露草の身体は、微かに震えていた。
想像するだけで、こんな風に心の芯から震えがこみあげてくるのだ。
このことについて、両親や姉にも一言も話していない。理由が露草自身わからないし、説明しても納得させられるとは思えない。
とにかく、そんな自分でも理解の及ばない恐怖心を抱えながら、露草は中学も高校も公立校を選び、高校では部活と掛持ちでバイトをして必要経費にあてて過ごしてきた。
そしてきっと、これからも。
「私は……このままで良いのデショウか……？」
震えた問いかけが、静けさの中に溶けていく。像は何も答えず、辺りに静寂が満ちた。
「……聞いて下さり感謝デース」
気が抜けたのか、素の口調で天使像に礼を言う露草。吐き出せただけでも、懺悔の意味はあったろうか。立ち上がり軽く伸びをして、
「さて、バイトへ行――」
続く言葉が、頭の中から吹っ飛んだ。
白い壁、白い天井、白い床、白いシーツに白いベッド。清潔な白一色の空間に、辺りが様変わりしてしまっていたから。
「はっ、えっ、何が起きたんデース！？」
取り乱し、長い髪を振り乱す露草。その耳に、苦しそうなうめき声が届く。
驚き振り返る露草の目に、ベッドで苦しげにうめく幼い少年の姿が映った。怪我をしたのだろう、後頭部を中心に覆う包帯とネットがひどく痛々しい。露草に気づかないのも、痛みが酷いからか。
そんな少年に決して安らぎを与えまいとばかり、病室の外から争うような怒声が響く。何だかよくわからないが、病室の前ですることでない。
出て諌めようと、病室のドアノブを掴んだ露草の耳に、
「だから、露草くんの治療費は私達が支払うと言ってるだろう！」
「勝手に庭の木に登ってたのはあの子だろ、落ちたのだって自業自得なんだからいいじゃないか！」
言い争う声が、このうえないほどはっきり届いた。
ずきり、と後頭部の傷跡が刺すような痛みを訴える。直後、堰を切ったように次から次へと記憶が濁流のように溢れだす。
ある日、お世話になっていた老夫婦のために柿を取ろうと木に登ったこと。
いきなり老夫婦宅に入り込んできた彼らの孫に、木を揺らされて転落したこと。
後頭部と背中に大怪我を負い、そして――。
「……」
ゆっくりと、ベッドの上の少年を振り返る。
「払う」「払わない」とこの瞬間も言い争っているこの声が、彼を――幼い露草を、痛みの他に苦しめている。
そして今の露草を、怯えさせているのだ。
結局どうなったのかは、思い出せない。
だけど、もしかしたら。
「……またあのお二人にお会いしたら、何か変わるのでしょうか？」
呟いた露草を、物言わぬ天使が見守っていた。
それが天使の、懺悔への答えなのだろうか。