天使が瞳をひらくとき｜リアクション

天使が瞳をひらくとき

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「天使に会えると聞いて来たのだけど……」
ただの像があるだけか、と。サキリ・デイジーカッターは、天使像に片手を触れる。ただの像は、もちろんその呟きには応えない。
サキリが口を閉じてしまえば、他に言葉など一つもなく。聞こえてくるのは、自分自身の呼吸と、葉鳴りと、遠く漏れる囀りと。それだけ、だ。
まあいいか、と胸中で呟く。物思いに浸るには、ここはいい場所だ。天使の傍らでするとはいえ、懺悔や贖罪というわけではないけれど。
刃物のように鋭い瞳を、鞘に収めるようにそっと伏せ。
閉じた暗闇の中で、サキリは回想する。寝子島に来る前の、サキリ・デイジーカッターの有り様を。
父親は、金持ちのエリートだった。だけど、と言うべきか。あるいは、だからこそというべきか。
「スパルタ教育」を、サキリに施した。
まるで聖女様みたいな母は、「スパルタ教育」を、親の愛情だと勘違いする有様。
それでも、まだ母が居る間はましだったのだ。例えどれだけ世間知らずでも、優しかったのだから。サキリの居場所は、確かにあったのだから。
サキリが中学に入る頃、母は病に倒れこの世を去った。だけども、教育という言葉でラベリングした虐待を行う父は当然のように健在で。
母を失ったサキリは、家での居場所までもを失くしてしまった。
その結果、サキリは一人家を飛び出した。わかりやすく言えば、グレたのだ。
そこから先の日々は、どう取り繕っても「酷い」としか言いようのないものだった。
学校の不良やゴロツキ共とつるんで始めたのは、ギャングの真似事。なかなかどうして、これが意外に儲かった。儲かって、しまった。
それで何を勘違いしたのか、サキリ達はますます調子に乗ってしまった。
そうして猿真似のギャング集団は、本物に目を付けられてしまうことになる。
そこから先は、坂を転がり落ちるよう――いや、始めから落ちていたのだろう。ただ、そうと気付かなかった……あるいは、気づかないふりをしていただけで。
とうとう抗争にまで発展し、あっという間にやれ仲間割れだ裏切りだ。
坂を落ちていった先は平坦な道などではなく、暴力にまみれた坩堝だった。
そんな坩堝の中で全てが嫌になったサキリは、逃げた。とある親戚の手助けで日本へ高飛びし、そして寝子島へと辿り着いたのだ。
最悪だね、と胸中でひとりごちる。我がことながら、どうしようもなく最悪だ。
ふと思うのは、自らの姓――デイジーカッター。それは、雑草を刈る機械を意味する言葉。
雑草ばかりか、触れる物を全て誰彼なくズタズタに斬り刻んでしまう刃。
それが自分という人間の本質なのだ、と。サキリは思う。
そして同時に、それでもと思う。
この島で、一からやり直したい。
人を不幸にする側の人間から、人を幸せにする側の人間になりたい。
過去を描く暗闇の中、サキリは天使様とやらに問いかけた。
「僕にその資格はあるか？　それとも、地獄に落ちて裁きの炎に焼かれるべきかな？」
答えを求めるように、ゆっくりと瞳を開く。
そこで待っていたのは、天使像を抱く廃教会ではなかった。
「っ」
一面見渡す限りに広がる、荒れ果てた野。雑草の一つもなく、代わりに無数の刃が突き刺さる。無限に続くかに思われる刃の荒野を見渡し、その果てに見つけたものにサキリの心臓が小さく跳ねた。
それは、光だ。荒野の彼方で、星の光のように微かに、しかし確かに輝きを放つ光。
「……そういうこと、か」
やり直したいと思うなら、人を幸せにしたいなら、その資格が欲しいのなら。
――光のもとまで、歩き続けろと。
小さく、土を踏みしめる音がする。
それは、サキリが一歩を踏み出した音だった。

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