天使が瞳をひらくとき｜リアクション

天使が瞳をひらくとき

◆
夕暮れが、白薔薇を朱く染めていく頃。
忘れ花の教会を、添木牡丹が訪れた。いや、より正確には……迷い込んだ、と言うべきか。
もう日も大分傾いてきている。真っ暗になってしまう前に、帰らないと。そう思ったはずの牡丹は、しかし天使の像を前にして足を止めた。
なんとなく……そう、なんとなくだ。懺悔を、したくなってしまった。
――牡丹ではなく、「のばら」として。
かさりかさりと枯れた落ち葉を踏みしめて、天使像に歩み寄る。
そうして語り始めたのは、懺悔というよりは……後悔。
この前に見た、夢のように。
もしもあの通りに、追いすがってでも引き留めるか。あるいは、歪んでしまった彼女を……少しでも理解しようと歩み寄っていたならば。
そこには、二人が仲良く助け合って幸せになれる未来があったかもしれない。
「……少なくともこんな互いに不幸なる事態にはならなかったのかしらね、『牡丹』」
応える声はないし、期待もしていない。淡々と、「のばら」は言葉を紡ぎ続ける。もはやそれは、懺悔ではなく独白だった。
「……何にせよ、『のばら』も『牡丹』も変わったわ。……醜い本性を抱えた化物にね」
父を見捨てて見殺しにし、たくさんの人を陥れ、欺いて、騙して。いくつもの、数えるのも馬鹿馬鹿しいほどの罪を、その身に刻み込んだ化物に。
そんな化物が幸せを求めることは、許されないことだろうか。認められないことだろうか。
ぎゅっと胸を握りしめる。それは愚問だと、のばら自身理解していた。例え世界の全てがそれを認めたとしても、
「……貴女は認めないでしょうね」
いつかの深夜、黄色と黒の規制線を乗り越えた先でそうしたように。刺して、引き裂いて、抉りぬいて、喜悦に顔を歪めたあの時のように。
ごぼり、と。胸の奥で、汚泥が沸き立つような音がした。それは、自分であって自分でない、我が身に取り憑いた彼女があげた声だ。
のばらは、己の胸元をぎゅっと強く握りしめた。沸き立つ汚泥を抑えこむため？　
否、否、断じて否。それは宣戦布告をするためだ。包帯のように巻き付いた因縁に、終止符を打つためだ。
「文句があるなら昔みたいに仲良く喧嘩しましょうか……『牡丹』」
毅然と言い放った、その刹那。応じるように、背後から足音がした。
振り返る黄昏の光の中に浮かぶのは、のばらによく似た輪郭の影。
……宵と明とが混じりあう黄昏時は、向こうからやってくるのが誰かさえもよくわからなくしてしまう。故に人は、「誰そ彼」と問う。
しかし今日この日、この瞬間、今ここに居るのばらにとって、向かってくるその影が誰かなど、問うまでもないことだった。
向き直ったのばら/牡丹は、その影を真っ直ぐに見据える。その瞳に、牡丹の花のような儚さはない。いつかのように、目を見開いて涙を流したりはしない。両耳を塞いで、震えたりはしない。
のばら/牡丹は「のばら」でありつつも、「牡丹」として幸せになるのだから――そう易々と、乗っ取られたりしてたまるものか。
「……さあ、人生を掛けて双子の殺し愛を始めよう」
先に口にしたのは、どちらだったろうか。

逢魔ヶ時の殺し愛の行方を、天使はただ静かに見守っていた。
のばらが、自らの手で終止符を打つその瞬間を。