それぞれの回想｜リアクション

それぞれの回想

　広い自室に八神修は独りでいた。頭の後ろに手を組んで椅子の背もたれに上体を預ける。冷ややかな目は机上の全国模試の結果に向けられた。各教科に高得点が付けられ、それに比例した順位の高さを誇る。
「約束だからな」
　修は静かに瞼を閉じる。間もなく眉間に薄っすらと不穏な皺を寄せた。

　広々とした部屋の中央に長方形の豪奢な食卓が置かれていた。奥まった上座に父親が厳めしい顔で座る。左手側には表情の乏しい修がいた。正面には義理の母がいてシェフの懐石の味を楽しんでいる。
　父親は修を一瞥した。
「本土を離れても決して浮かれず、八神の名に相応しい態度を心掛けるのだぞ」
「わかりました。学生の本分を忘れずに学業に励みたいと思います」
　穏やかな表情で父親に接する。心の奥深いところではタールのような黒い本音が染み出していた。
　俺は優秀な跡取りという駒だ。誰かの気分次第で、いつ捨て駒になるかはわからないがな。
　父親は焼き魚の身を箸で切り取る。
「学生が学業に励行するのは当然だ。それに成績が少しでも下がれば転向させる」
「約束を違えることは決してありません」
　八寸を食べ終わった母親が溜息交じりの声を出した。
「庶民の生活に慣れるのでしょうか。それに一人暮らしですと、家事とかもこなさないといけないので、余計に不安が募ります」
「心配なさらないでください。向こうでは大きな寮に入る予定ですし、使用人もいます。不慣れな家事は少しずつ学んでいくつもりです」
　母親の心痛を労わるような口調で修は返した。上辺とは反対に心の声は刺々しい。
　家事と無縁な生活を送る人に言われたくない。血の繋がりもないくせに母親面か。家族ごっこは他でやれ。
　修はナプキンで口元を拭いた。二人の様子を盗み見て、この場を離れる機会を窺った。

　広い庭に出ると修は深呼吸をした。
「空気が美味いな」
　感慨に耽ることなく歩き出す。すぐに横手から声を掛けられた。
「修様、お疲れ様でした」
「風間か」
　声の方に顔をやると精悍な面構えをした若い男性が立っていた。黒いスーツを見事に着こなしている。修の穏やかな表情に風間も相好を崩した。
「高校合格、おめでとうございます」
「ありがとう。祝いの言葉を贈ってくれるのはお前だけだな。予想していた通りだが」
　修は皮肉めいた笑みで口元を強張らせた。風間は真剣な表情で願い出る。
「私を島に連れて行って貰えないでしょうか。運転手はもちろんですが、世話係としても力になれると思います」
「お前も俺を子供扱いするのか」
　怒りの籠った声に風間は、違います、ときっぱりと言った。揺るぎのない視線で修を見詰める。
「私が修様に付いて行きたいのです。正直な気持ちで他意はありません」
「……疑うようなことを言ってすまない」
　修は見慣れた庭に目を向けた。風間は黙って横に並ぶ。二人は気持ちの良い風に吹かれた。
　修は目を細めて口にした。
「これからもよろしく」
「私こそ、よろしくお願いします」
　二人は並んで景色を眺める。修は清々しい表情で遠くの空に目を移す。
　春からは風間と寝子島での生活だ。今から待ち遠しいな。
　これまでにない笑顔で修は期待に胸を膨らませた。

　閉じていた瞼を開けた。姿勢を正して新たな教材に手を伸ばす。
「……今なら父母と建設的な会話が出来るかな」
　微かな笑みで勉強を再開した。