それぞれの回想｜リアクション

それぞれの回想

　猫鳴館の薄暗い部屋に雨音が響く。サキリ・デイジーカッターは窓際に立っていた。時に吹く強い風が窓硝子を叩き、世界をドロドロに溶かした。
「今日は暗いな」
　真紅の目を上げた。黒い岩を敷き詰めたような空に息苦しさを覚えたのか。サキリは大きく息を吸って静かに吐いた。
「……あの時の空に似ている」
　過去が背後から音を殺して忍び寄り、サキリを強く抱き締めた。

　上から無造作に積み上げたような歪なビルが両側を塞いでいる。薄暗くて湿っぽい路地に黒いコート姿のサキリが立っていた。両手には血に塗れたナイフを持っている。薄汚い地べたには若者達が丸まった姿で倒れていた。地の底に引きずり込むような怨嗟の声を上げて震えている。手で押さえた部分からは血が染み出していた。
「俺のナイフを汚しやがって」
　サキリは一人の若者に近づいた。ジャケットの背中の部分にナイフの刃を当てる。動揺が刀身に伝わると、動くんじゃねぇ、と一喝した。
「ゆ、許してください」
「動くと抉るぞ」
　その一言で若者の時間は停止した。サキリはナイフの汚れをジャケットで拭き取った。綺麗になった刀身に満足の表情を浮かべる。指の腹で切れ味を試したあと、左右の腰に下げたホルダーに収めた。
「次はないからな」
　転がる若者達に一瞥もくれることなく、サキリは路地を歩き始めた。
　最初の曲がり角が近づいてきた。視線は右に固定された。歩みが遅くなり、瞬間的に走り出す。腰に下げたナイフの柄を握って引き抜いた。
　サキリは右の壁に回り込み、潜んでいた白人の男の首筋に両方のナイフを構える。
「動くなよ」
「口は動かしてもいいだろ？」
　男は壁に貼り付けられた状態で顎を上げた。自然に爪先立ちとなる。サキリのナイフは、それ程に近い。
「言ってみろ」
「ハンバーガーとコーラを奢ってやるから俺のチームに入らねぇか」
　言葉の意味を理解するのに数秒を要した。サキリは鼻で笑った。
「安い勧誘だな」
「おまえ、細身のくせに食い意地張ってんな。わかった、ポテトも付けてやるよ」
　サキリはナイフを速やかにホルダーに戻した。口元の笑みを掌で隠して歩き出す。
「いつまで突っ立ってんだ。奢りの約束は守って貰うぞ」
「チームに入ってくれるんだな！」
「そっちが誘ったんだろ、えっと」
　迷う言動に男は白い歯を見せて笑った。
「俺はウィクサリオ、ピチピチの十八才だ。おまけに仲間想いの熱血漢だぜ！」
「自分でいうなよ。俺は、まあ、僕はサキリだ。よろしくってところだな」
　年下なので口調を改めた。二人はすぐに打ち解けて旧知の仲のような状態になった。
　その後は地域のチームを力で圧倒した。縄張りは一気に広がる。ウィクサリオとサキリがツートップとなって血に塗れた青春を謳歌した。
「サキリ、おまえがいれば俺は何でも出来るぜ！」
「僕も同じ気分だ。ウィクサリオ、このままいつまでも走っていたい気分だ！」
　二人を中心にしてチームは全力で走った。その勢いと過剰な熱が判断を誤らせた。一線を越えてギャングとの抗争に突入した。気付いた時には戻れず、仲間達が容赦のない暴力の渦に呑み込まれる。
　ある雨の日、ろくに明かりのない路地裏で銃声が轟いた。三発の凶弾をウィクサリオが背中で受けた。そのおかげでサキリは無傷であった。
「お、おい、冗談だろ。ウィクサリオ、眠るな！」
　ずり落ちる相棒を支え切れず、地面に仰向けに寝かせた。雨に全身を打たれて意外と綺麗に見える。
「……な、なあ、俺は……仲間、想い……」
「ふ、ふざけるな！　こんな俺を、残して何が、仲間想いだ。ウィクサリオ、目を開けろおおおぉぉッ！」
　白い獣の慟哭は強い雨の中に掻き消えた。

　サキリは窓から離れた。目尻に溜まった涙を人差し指で拭う。
「救われた命、僕は大切にする」
　――もう過ちは犯さない。
　サキリは亡き親友に誓うのだった。

このページにイラストを設定する