【旅の途中】

「５０年前？」
「そう、俺やあんたが生まれるずっと前のことさ……６０年前だったかな？　まぁとにかく、そのくらい昔のことだって話さ」
　胸に抱いた子猫のブラックを、さらさらと撫でながら。八神 修は、話しかけてきた若い漁師の言葉へと、時折質問を交えながらに、熱心に聞き入っています。
　中央広場。目の前にはあの、巨大結晶。ローシルティウム。
「こいつは突然、空から降ってきたんだそうだ。いくつもいくつも、世界中のあちこちにね。その中でもとびきりデカイのが、たまたまこの街のど真ん中へ落ちた……その時は、何か粗相でもやらかして、海神様がお怒りになったんじゃないかって、みんな怯えたそうだがね。すぐにもこいつのありがたみが解ったから、今じゃ海神様が遣わしてくれた奇跡、ってことになってるよ。そして俺たち漁師にとっても、これがありがたい代物なわけだ」
「……そう古いものではないのか。この石は」
　話を聞きながら、修はここん、と茜色の結晶を指でノック。
　先に聞いた旅芸人たちの話では、こちらではかなり普遍的なものである、ということでしたけれど。このローシルティウムなる鉱石が発見され、この世界へと根付いたのは、相応に長いという街の歴史や成り立ちからすれば、意外にも最近のことであるようです。
（光を記憶する結晶……だったか？　確かに船乗りにとって、その恩恵は小さくないものだろう。だが……）
　思慮深い修が、そこへちりと感じた違和感、疑問を抱くに至ったのは、きっと当然の流れではあったでしょう。
（だとすると、俺たちをこの世界へ移動させたのは、あの石の力ではないのか？　アルク自身の持つ力ということか？　それともこの石には何か、まだ知られていない秘密が……）
「修くーん？　これとか、どうかなー？」
　呼ばれて振り返りますと、鴇波 羽衣に、ヨハン・プレストン。一緒に行動している彼らは、せっかくの異世界旅行に、何か良い土産物でも持ち帰ろうと、露店の品物を物色しているところです。
　修はひとつ苦笑いして、
「ありがとう。参考になったよ」
「ああ。良い旅をな」
　若い漁師へお礼を言ってから、彼らの元へと戻ります。
　ヨハンが戻ってきた修へ、
「……何か、面白い話が聞けたか？」
「どうだろうな。謎が深まった気もするが……」
　まだ整理がつかないもので、その問いにはひとまず、肩をすくめて。とりあえずは、羽衣のお土産選びに付き合うことにします。
「ねえ、これこれ！　ヨハンせんぱいとも話してたんだけどね、これはどうかなー？」
　あの空のクルーズを堪能してからこちら、ご機嫌ではしゃぎがちな羽衣が掲げて見せたのは、何かの羽毛が飾りとしてあしらわれた、綺麗なアクセサリーです。
「ダイオウハネクジラの羽毛、幸運のお守りなんだって！　ほら、これにね？　さっきもらった、コウテイソラカジキの鱗を一緒につけたら……」
　先ほどの漁の報酬として受け取った、六角形の銀色の鱗。それをかちゃりと並べてみますと、何ともこれが、神秘的な美しさ！　確かにとてつもなく恩恵がありそうな、そんな気がしてくるのです。
　修もうなずいて、
「なるほど、それは良いな。それにしておくか。で、代金は……」
「それなら、俺が支払っておこう」
　と、申し出たのはヨハンです。颯爽と懐から取り出しましたのは、ぴかぴか、何枚かの……何と、きらめく金貨！
「先ほどの漁でな。報酬として受け取っておいたんだ。こんなこともあろうかとな」
「わぁ、いいの！？　あたしもう、アルバイトでも何でもする気でいたけど……ありがとう、ヨハンせんぱい！」
　鱗も綺麗で素敵でしたけれど、そこに加えて、何か入用になった時のために、ヨハンがこの街で使われている通貨を要求したところ、気のいい漁師は豪快に笑いながら、事も無くその金貨を渡してくれたのでした。
　先輩らしい貫禄やら気配りを見せ付けたヨハンのオゴリで、三人は無事にダイオウハネクジラの羽毛のお守りをゲット。不思議な旅に、良い思い出の品ができました。



　空と海の町、豊漁祭の賑わいをひと通り楽しんだ後に、ひとまず街の中央、広場へと戻り全員が顔を揃えた、アルクと旅人たち。
　アルクは、芝生に腰を落ち着けた弘明寺 能美子の隣でのんきに、ころん。少しずつ暮れてきた日の光を浴びながら、寝転がってくつろいでいます。
「何だか、今日だけで、本当に色んなことがあったわね……」
　能美子の言葉には、単純に別世界での体験というだけではなく、この街での諸々を見て回るうち、彼女自身の見識がいくらか広がったように思えることも、多分に意味として込められているのでしょう。　
「色んなこと……教えてくれて、ありがとね。アルク……」
　頭をなでなで。ふにゃにゃん、と白黒猫は、どこ吹く風。
　彼らの側には、いまやすっかり打ち解けた、あの旅芸人の一座もおりまして、
「いや、やはり旅はいいものだね！　時にこうして、君たちのような気のいい若者たちに出会えて、大いに話も弾むのさ」
「だから、旅暮らしはやめられないのよね♪」
　アコーディオン弾きのおじさん、踊り子のお姉さんは、なみなみとエールを注いだ杯をがしゃこと打ち合わせて、先ほどからもう何度目かの乾杯をした後に、ぐびぐびぐびと一気飲み。
　その隣で、太鼓の青年が不意に、旅人たちへと尋ねます。
「それで。君たちはこれから、どうするんだい？　もう、次の場所へ旅立つのかい？」
　問われて、彼らは思わず、顔を見合わせます。ここへ来てから今まで、不思議とそのことについて、話し合うことは無かったのです。
「……そうだよな。この街が良いところなのは分かったけど、僕たちだって、ずっとここにいるわけにはいかないぞ」
　サキリ・デイジーカッターの言葉も、もっともです。彼らの故郷は寝子島であり、この街の住人ではなく……ましてや、この世界の人間ですら無いのですから。
　雨寺 凛もちょこんと首を傾げて、
「どうやったら、寝子島に戻れるんだろうねぇ？　アルクくん、連れて帰ってくれないかなぁ？」
「アルク、寝てますですね。気持ち良さそうです」
　微笑ましそうに見つめたフィリップ・ヨソナラの視線の先では、確かに白黒猫が、むにゃむにゃ……彼が相当にのんびり屋であることは、今日を通じて、この場の誰にも分かってきていました。猫好きなのにいまひとつ好かれないことの多いフィリップなどはもう、あまり神経質でない性分らしく分け隔てなく接してくれるアルクが、大いに気に入ったようです。
　けれど、そうは言っても。彼らがここへ連れられて来た理由、少なくともそのキーとなるのは、恐らくこののんびりアルクであるのに間違いはありません。
　ふむ、と思案する三夜 茜。きらりと鈍く光る、六角形の鱗を手慰みになぞりつつ、アルクをじっと見つめながらに、
「あまり長居をして、相棒を錆び付かせるわけにもいかないからね。どうにかして、彼に元の場所へ戻してもらわないと……、……？　あれ？」
　彼女が自身の夢の結晶にして生活の糧でもある、水上飛行機へと思いを馳せた……その、瞬間でした。
　ぱちり。ぱち、ぱち。ぱちぱち、ぱちり。
　この不思議な旅への出発の知らせともなった、まぶたの裏に焼きついたあの茜色の光が、ぱちぱち、ぱちりと、彼らの周囲で弾け始めたのは。
　不意に、むくりと首をもたげたアルクが大きく口を開いて、にゃあおおおおう……と、長い鳴き声。それを合図とするかのように……ぱちぱち。ずば、ばちり！
　凛は慌てて、
「え、今？　今すぐに？　わ、待って待って！　だってまだ、ほら、お別れも言ってないし……！　ねっ、ちょっとだけ待っ」
　そんな声を、半ばでかき消しながらに。
　光は、ばち。ばち、ばちちち……ばばばば。ば、づん！
　……強烈な光が、幾度か弾けた後。周囲には、ぽかんと目を丸くした、街の人々……それに、杯をあおるのに忙しくて気付いていなかったらしい、すっかり酔っ払いな旅芸人たち。
「んん……？　あれ、もう出発しちゃったのかい？　せっかちだなぁ」
「でも仕方ないわ、旅人の出会いは一期一会、世にも儚い夢幻のごとく……なーんてね！　さ、ほら、乾杯！　乾杯しましょ！」
「ああ、そうだね。彼らの旅路に、幸あらんことを祈って……乾杯ー！」
　がしゃこ！　と再び打ち鳴らされた祝福の杯が、旅人たちを送り出しました。















　……けれど。
　彼らの旅路は、心躍るような、爽やかで穏やか、ゆったりと優しいものばかりでは、どうやら無いようで。
「………………今度は、どこへ連れて来られてしまったんだ……？」
　思わず漏れた、鴻上 彰尋のつぶやき。
　ぱちぱち、ぱちん。茜色に瞬く光の残滓が、溶けるように消え去り……旅人たちを出迎えたのは、先ほどまで浴びていた潮風とは全く異なる、カラカラに乾いた空気。横殴りに吹き荒ぶ、砂混じりの強い風。
　そして……頭上にぎらぎらと輝く、まぶしい、双子の太陽たちでした。

＜『さまよいアルク』　つづく＞