追われる身のはじまり｜リアクション

追われる身のはじまり

　——はぁ……困っちゃったねぇ。
　日の沈みかけた３年５組の教室、ひとり佇む壬生由貴奈の後ろに、怪しい影が立っていた。
　こんなことならさっさと帰れば良かった……後悔先に立たず、である。
「……で、うちに何か用があるから来たんだよねぇ……？」
「ああ、ちょっと聞きたいことがあってよお〜。お前、クローネを知ってるか〜い？」
　由貴奈は考える。
　クローネのことは知っているが、素直に「はい」と答えるのは躊躇われた。
　いきなり背後に現れて、クローネの名前を口にする何かとは、とても友達になれる気がしない。
「……クローネぇ？　新しいお菓子か何か？」
「とぼけてるんじゃないだろぉなあ〜？　隠すとためにならないんだぞお〜」
「知ってても知らなくても、どっちにせよひどいことする気でしょお、どーせ」
「ん？　……へへ、お前、察しがいいねえ〜」
　背中にチクリとした感触が走った。
「！　な、何これ、力がどんどん抜ける……？」
「お前の力、全部奪ってやるよお〜」
「ふーん……でも、直接殴ればいいのに、それはしないんだね？」
「俺はゆっくりしか動けないからよお〜。直接殴ったりとか向いてないんだよねえ〜」
　——ゆっくりしか動けない？　それって、ろっこんの制約のひとつ……？
　由貴奈は考えを巡らせる。
　——誰かのろっこん？　いつから？　そもそも……『人間』じゃなかったり？
「おい、何黙ってんだよお、お前〜」
「……まぁいっか、やっつけてから詳しい話を聞くことにしよ」
　窓に映る姿は影のような背後の者、もし影なら光を遮ればどうなるのだろうか。
　カーテンを引き、教室の電気を消してみる。
　——これで実体が保てなくなったりするかなぁ……。
「こんな真っ暗にしてどういうつもりだよお〜？」
「！？」
「お前、俺がなんなのか探ってるな〜。残念、俺はそんなんじゃ消えないんだよお〜」
「……そう。実体はあるってことねぇ。それなら、これはどうかなぁ」
　自ら床に倒れてみる。すると、痛っと背後の者は声を上げた。
　得体の知れない存在だが、どうやら痛覚はちゃんと持っているらしい。
　なるほどね、と頷き、由貴奈は教室の扉に向かう。
「？　何をする気だよお〜？」
　開けた扉を背に後ろへ倒れ込む……と見せかけて勢いよく扉を閉めた。影を切り離すように。
「！　うまくいった……？」
　気配が消えたのを感じ、安堵の息をもらしかけたその時、扉と背中の間に割り込むように再び気配が現れた。
「わ……！？」
　むくむくと膨らんで実体化したそれに押され、由貴奈は床に倒れた。
「俺からは逃げられないんだよお〜」
「う、うう……！」
　背中の何かに力を奪われ、身体に力が入らなくなってきた。このままではまずい……。
「もうすぐ、もうすぐだ〜、お前の力を全部奪える〜」
「そ、そうはさせないよぉ……」
　重い身体を引きずり窓際に。残された力を振り絞り、カーテンを開いて、窓を開けた。
　夕闇に包まれつつある空が目に飛び込む。
「お、おい、何を考えてるんだよお〜？　まさか、お前〜？」
「ふ、ふふ……正気の沙汰じゃない？　それが面白いんだよぉ」
「！？」
「もっとも、君が先に落ちて、上にうちが落ちる。そのとき果たして無事でいられるかな……？」
「ま、待て、ここは３階だそお〜……！」
　次の瞬間、由貴奈は窓から飛び降りた。みるみる地面が目の前に迫ってくる。
「！　ま、まずいだろ〜！　だ、駄目だ。能力……解除！」
　突然、背後の気配がフッと消えた。
「逃げた……？」
　しかし、敵が消滅しても、重力は容赦なく彼女の身体を地面へと引っ張る。
　そして、地面に激突する瞬間……！　すれすれのところで由貴奈の身体が止まった。
「あ、ぐ……！？」
　その腕には、教室の暗闇にまぎれ、ベルトのポーチから出したダクトテープが命綱代わりに何重にも巻き付けられていた。
　特技の目視測距で、地面ギリギリで止まるように計算して長さを測ったが、うまくいったようだ。
　とは言え、地面に激突こそしなかったものの、落下の衝撃を受け止めた腕には大きなダメージが残る……。
　ポーチから出したハンドソーでテープを断つと、ドサリと由貴奈の身体は地面に落ちた。
　それから辺りを見回す。先ほどの襲撃者は影も形も気配もなくなっていた。
「はぁ、はぁ……、なんで放課後にこんな目に遭わなくちゃならないのかなぁ……」
　力が抜けたように地面に座り込む。
　空はオレンジから深いブルーへと変わり、もうすぐ１日が終わろうとしていた。

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追われる身のはじまり

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