追われる身のはじまり｜リアクション

追われる身のはじまり

「ふわぁ……、昨日夜更かししたせいかな、まだ眠いや……」
　放課後、寝子高１階にある男子トイレで、日暮ねむるは大きなあくびをしていた。
「今日は早く帰って寝たほうがいいかな……」
　そんなことを考えながら、洗面台の前に立つと、鏡に映る自分の後ろに影のような何かが映っていた。
　寝ぼけているのかな、と目をこするが影は消えない。確かにそこにいる。
　しかし……。
　——いつの間に背後を取られた……？
　慌てて振り返る……だが、そこに姿はない。ただ、声は聞こえる。
「なぁお前、クローネを知ってるか〜？」
「……！？」
　もう一度振り返ってみても、やはりいない。だが、鏡には背後に立つ影の姿が映っている。
　——何かの能力……かな。常に相手の背後にいる……能力……？
「質問に答えてくれよお〜、クローネを知ってるのか〜、お前〜？」
「あ、ああ、クローネねぇ、聞いたような聞かないような……どうだったかなぁ」
　話し方は間延びしているが、声の奥にはどことなく悪意が感じられる。
　この怪しげな背後の者は少なくとも、友好的な存在ではなさそうだ。
　攻撃してくるなら、受けて立つつもりだが……しかし、どう戦えばいいのだろうか。
　——僕の影にでも寄生しているのか知らないが、どうやら正面きって殴り合える可能性は絶望的だね……。
　考えていると、チクリとした感触が背中に走った。と同時に、体の力が抜けていく感覚に襲われた。
「黙りこむってことは何か知ってるってことだよな〜。お前、邪魔なんだよお〜」
　——ちっ、考え込む余裕はないか。
　だが、今の攻撃でひとつだけわかったことがある。
　——背後のコイツは僕に物理的に干渉できる。つまり、裏を返せば……！
　鏡を背にした状態で、目下修行中の八極拳の技『鉄山靠』で、ねむるは敵を鏡に叩き付ける。
「ぐあっ！？」
　割れる鏡の音に混じって、うめく声が聞こえた。
「そう、裏を返せば……僕もアンタに攻撃できるってことだ」
「うぐぐぐ〜……！」」
「正直なところ、アンタが実体化しているか、それとも接触できない霊的存在なのか測りかねててね。だから、無闇に手出しできなかったんだ……。だが、アンタが自ら攻撃してくれたお陰で気づけたよ。あんたは影ではなく間違いなく実体化しているってね」
「それがわかったからなんなんだよお〜！」
「それさえわかれば簡単ってことさ、背中越しだろうが痛めつけりゃ良いんだからね」
「！　な、なんだとお〜、俺に勝つ気でいるのかよお〜！」
「勝てる気しかしないけど？」
　大人しそうなねむるの目にギラギラした獣のような光が宿る。
　人の良さそうな見た目とは裏腹に……実は戦いが大好きなのだ。
　ねむるは背後の者を壁に押さえつけ、それから腕を掴んだ。
「それに、ずっと背後にいてくれるのは好都合。アンタは僕のろっこんの射程圏内から逃れられないってことなんだからさ」
「な、何を……う、あ……」
　ろっこん＜In to the Sleep Act2＞で、背後の者を強制的に眠らせた。
　そして、すかさず鏡の破片で。真っ黒な首筋を一文字に切り裂く。
　悲鳴を上げることもなく崩れ落ち、謎の襲撃者は床に染み込むように消滅した。
「勝負あり、だね」
　ねむるは洗面台に破片を投げ捨てる。
「駆け引きっていうのはね、等価交換なのさ。リターンを得たければ相応のリスクを背負わなきゃ。僕には勝てないよ」