追われる身のはじまり｜リアクション

追われる身のはじまり

　桜庭円は北校舎の３階廊下を歩いていた。
　先生の手伝いで、視聴覚室へ教材を返しに行く途中、誰もいない廊下に差し掛かったときのことだった。
　唐突に視線を感じ、足を止めた。
　——後ろを取られた！？
　誰も後ろからついてくる気配はなかった。なのに、不意に気配が真後ろに現れた。
　嫌な予感に、考えるより、振り返るより先に、身体が動いていた。とにかく離れなければ……！
　ボクシング部仕込みのフットワークで、フェイントを入れて振り切ろうとする。
　だが、気配はピッタリと背中に張り付いたまま、引き離すことができない。
　——これって、ろっこんとかの特殊能力……？
「随分、すばしっこいねえ〜、お前、ただの女の子じゃないな〜？」
　窓に映るのは黒い人型の何か……。
　——普通の人じゃない……！
　ハッとして自分の影を見る。
　——ボクの影はある……、ボクの影とは関係ない……？
「そう混乱するなって〜。お前に聞きたいことがあるんだよお〜、クローネを知ってるか〜い？」
「クローネ……？」
　その名前にますます円の警戒は強くなる。
「知ってる奴には消えてもらわないとならないんでねえ〜。そういう奴を探してるのさ〜」
「……クローネ、ね。敬称つけないの？」
「ん〜？」
「様とかつけたほうがいいんじゃない？　怒られるよ？」
　冗談まじりに円は言う。
　手下……にしては言い回しが違う気がするのだ。
　——知りすぎてるから、倒す。そういう嗜好はクローネには無さそうだし。別の方面からの……？
「……その口ぶり、知ってるってことだな、お前〜」
　気配の中の悪意がどんどん大きなっていく。
　——そ、それどころじゃなかった！　今、ボクやばいじゃん、くっそう！
「えぇっと、名前は？　自己紹介しない？　話せばわかるよぅ」
「へへ、今更必要ないんじゃないか〜い？」
「うぅ、背中に！　な、何か刺され……！」
　咄嗟に跳んで、前転する円。
　その瞬間、ぎゃあ、と悲鳴が背後から聞こえた。背後の者は前転の拍子に頭をぶつけたらしい。
　——！　やっぱりそうなんだ……！　この人、背中に追従する能力だ……！
　円は立ち上がり、窓に映る影を確認しながら、走った。
　走りながら、胸ポケットのボールペンのキャップを外し、教材の中から延長コードを取り出しておく。
　——この黒い姿、背中に追従する能力、何か針のようなもの……ろっこんにしては能力多いよー。くそぅ。
「……！　おい、何を〜？」
　円はコードで自分と背後の者を巻く。そして、２階に下る階段からジャンプした。
　背後の者が下敷きになるように身体を捻ろうとする……だが、そうはさせじと向こうももがく。
「そ、そうはさせるかよお〜」
「！？」
　先ほど避けた何かが、背中にチクリと刺さる。
　ボールペンを突き立てようと腕を振り上げるが、身体の力が抜けて思うように動けない。
「力が入らな……うわっ！？」
　背後の者を下にして落ちるはずが、自分が下になって落ちてしまった。
「ううう……！」
「へへへ〜、大人しくしてろよお〜」
「く、くそぉ……」
　よろよろと立ち上がる。
「やられっぱなしで諦めるのは、ボクの性分じゃないんだよね……！」
　２階の窓を開けて、身を乗り出した。
「！？　お、おい、バカな真似はやめろって〜。そんなことしても痛いだけだろお〜」
「そうかもね……」
「大人しくしてりゃあ、苦しまずに楽になれるんだ〜、そうしろよお〜」
「この変なチクッとした奴で……？　そんなの、ごめんだよ……！」
「うわっ！？」
　頭と顔を腕で守りながら、円は窓から跳んだ。地面に吸い込まれるように円と何かは落ちていく。
「バ、バカやろう〜！　巻き込まれるのはごめんなんだよお〜！」
　吐き捨てるように言うと、背後の者は煙のように姿を消した。
「消え……うわああ！？」
　円は植え込みに突っ込んだ。
　彼女のろっこん＜ブレイブハート＞は危険に身を晒せば晒すほど自身の運を良くする力。
　そのお陰で、固い地面ではなく植え込みに落ちることができたようだ。
　しかも、いい具合に衝撃を散らしてくれたお陰で、かすり傷と軽い打撲程度で身を守ることができた。
「う、うう……。助かった……のかな？」
　植え込みの中から、ガサゴソと顔を出す円。
　謎の襲撃者の気配はどこにもなかった。しばらく警戒していたが、戻ってくる様子もない。
　ようやく緊張の糸が切れたのか、円は安堵の息をもらした。
「なんとか撃退できたけど、なんだったんだろう……。あの黒い影みたいなの……」

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追われる身のはじまり

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