寝子島３０００周年記念！｜リアクション

寝子島３０００周年記念！

＜三宅葉月の未来＞

　どこまでも続く紺碧に、白い水泡が浮かび上がる。
　かつてここは、寝子島と呼ばれていた。
　急激な火山活動、地球温暖化の影響による水面上昇により、南海の孤島はあえなく水中に没した。
　かつて九夜山と呼ばれた丘陵が、今は名残として顔を見せるだけで、あとは無数の岩礁が、そこにあった島を忍ばせるばかりだ。
　そこに築き上げられた建物も、生活も、すべてが今は水底であり、魚群の住処となる以外にはなく、いずれ急な海流にもまれ、砕け散っていくさだめであった。

　現在の時間軸でいえば５０年後、寝子島はその９割が水中に没する。

　今まさに、イシダイの一群がよぎりさったあとに残されるのは、寝子島でもとくに芸術家たちが集まったとされる一角のあたり。街角そのものが一個の芸術品と讃えられ、そのまま水没したのちも、幻想的な海底遺跡そのままの姿となり、ダイヴィングスポットとして名が知られている。
　そうした界隈の、一番奥まったあたりのアトリエ。
　水草がからむに任せた、静穏な流れの中に、無数のスケッチ、カンヴァスがあった。
　触れただけで砕けんとするそれらは、一枚地上に現れただけで、美術学会のみならず、世界中のニュースとなるだろう。

　その絵筆をとった人物、三宅葉月は、もちろんこの世に存在していない。

　現在の時間軸から５００年後。
　時を経ても、いや時が経つにつれ、夭逝の不世出の画家、三宅　葉月の声望はいやましに高まるばかりだった。
　あらゆる派閥と無縁、ただ心の命じるままに描かれた葉月の画は、繊細でたくみで、それでいて異様な迫力に満ちていた。彼女の内面宇宙と、現実世界がカンヴァス一枚で切り結ばれ、果てしない越境の窓として我々に開かれていた。
　あくなき内面の探求、孤独への恐れぬ筆致……どれをとっても余人の及ばぬものであり、幾多の孤独な人々の心に、自らを探求する勇気を与え続けた。

　その彼女が没したのは、現在の時間軸から１０年の後。
　わずか２７歳の生涯である。
　彼女の生のきらめきを、一時に集中させたような膨大な作品群は、寝子島とともに水底深く眠りつづけ、現存する作品は三十点にも満たない。
　魂を打つことのない贋作が、彼女の名を冠しているという理由だけで、世界的な美術館に展示されていた。

　三宅葉月は存在しない。
　ただ彼女の思念ばかりが、たまさか時間流に飲み込まれ、そして彼女の夭折、寝子島もたどる運命、死後に得る彼女の声望を知りえたのだ。
　それで、彼女はいかなる道を選んだのか。

　何も変わらない。
　そんな評価など、どうでもよかった。

（仮にあと、１０年しか生きられないのなら――）
　自分は、その時間で、どれほど内面世界と現実を切り結んでいけるのか。
　どれほど、自分の幻想を、形として残していけるのか。
　そればかりが重要。そのことでいっぱい。

（仮にあと、１０年しか生きられないとしても――）
　自分は自分の心のままに、絵筆で世界を切り取り、彩を添え、あらゆる幻想に息吹をあたえ、生を讃歌し、喜びを讃歌し……。
　自分を貫いていくだけ。

「……例え１０年後に私がいなくなるかもしれないけど、そんなことは関係ないわ……」

　世界が虹色に燃えたち、時間変異の予感がみなぎる。
　再びもとの世界に戻れば、自分は絵筆をとって、カンヴァスに向かうだろう。

　鴎が啼き交わす。魚群の影が、ゆっくりと葉月の足元を過ぎていった。
　物思う時は過ぎた。未来世界との別れ。
　彼女は立ち上がり、その服と髪を、未来の風にさらして……。

　彼女はもう一度水没した寝子島を、心にとどめた。

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