突如出現したこの密林であるが、どうも草木ばかりうじゃうじゃと増えたわけではなさそうだ。これにともなう環境の変化が足元にも発生していた。
「なんやここ？」
　密林の樹木には目もくれず、そればかりか徘徊する段ボール恐竜にもさして注意をはらわずに、ただひたすらに足元の土を這いつくばって調べている少女の姿があった。セミロングの黒髪、目にはゴーグル、小学校二年生であり年齢相応の年格好に顔立ちだが、真剣に地面を見つめるその視線には、花火のような好奇心のきらめきと同時に、俳人のような荘厳さがある。
「けったいなとこやけど土むっちゃええやん！」
　彼女は苑下 ちか、星ヶ丘にある苑下工務店の一人娘で、自他ともに認める砂場姫、幼いながら砂と土の専門家である。
「掘りやすそですこし湿っとるし、穴ほるんも、お城つくるんにもよさそや」
　土の組成を正確に数値化することはできないが、ちかは直感的にその成分を見抜いていた。ケイ素、アルミニウム、カリウムの含有割合まで、おおまかながら見抜いている。もちろん科学的な名前を知っているわけではない。『黒いの』『硬いの』『苦いやつ』……といった風な彼女なりの理解の仕方である。
　こうして夢中で土を掘り、ちょっと舐めたりして具合を調べているうち、ちかはつい、恐竜に近づきすぎたようだ。
「ん？」
　ちかの真横に、ひょこ、と段ボール製の長い首が伸びてきた。小さい頭に小山のような体躯、四本足でどすんどすんと歩く恐竜……かつてブロントサウルスと呼ばれた恐竜だ（※）。
　動く段ボール恐竜……佐藤英二も緋紅朱赫乃もいやこの場所にいる誰だって、これには驚かされたというのに、ちかはさして驚かない。それどころか彼女にとっては、単なるジャマ者でしかないのだ。
「けったいなん出てきよったな。ダンボールみたいやけど勝手にうごいとる」
　他人事みたいに言って手を振った。
「どうでもええけどちかのあなほり邪魔せんといてや。あっちいけシッシッ」
　ブロントサウルスといっても大型犬程度のサイズだ。こうされるとまさしくドッグといった風である。
　この仕打ちには、大人しい（と、かつては言われていた）ブロントサウルスもさすがに怒った。
「いたっ！　なんやこいつかみよった！」
　草をすりつぶす臼歯でガブッときたのである。段ボールではあるが歯のところは硬い。ちかもこれには頭にきたようで、ぐいと手を引き抜くと恐竜をにらみつける。
「かいじゅーみたいなかっこしとっても紙やろじぶん！　こんど来たらはったおすで！」
　恐竜には『はったおす』の意味がわからなかったようだ。もう一度ガブリときた。
「もーゆるさへんで！」
　こうなったらちかも、本気を出すしかない。彼女は土にふれて念じた。これが彼女の、『ろっこん』発動の合図だ。
「ドリルパーンチ！」
　叫ぶと同時にちかは、手をぐるぐる回しパンチを食らわせた。いわゆるコークスクリューパンチというやつだ。これが半ばまぐれながらかなりいい角度、タイミングでブロントサウルスの頭に入った。ぼごっ、と段ボール箱の頭部が割れる。

「おもいしったか」
　満面の笑み、紙くずになったブロントサウルスを見おろし勝ち誇るちかだが、それも長くは続かなかった。
「わ、なんや、じぶんらこいつの仲間か？」
　わらわらと出てきたのである。あっちこっちの茂みから、段ボールの恐竜たちが。なかには、かなりの大きさになるトリケラトプスの姿もある！
「そんないっぺんにくるん卑怯やで！」
　言い捨ててちかは一目散、とにもかくにも逃げ出した。

※かつての人気恐竜『ブロントサウルス』は、その後の研究で『アパトサウルス』の胴体に別の恐竜の頭骨を乗せて別種と誤解していたものと判明、存在そのものが抹消された。（しかし最新の研究では、やはり別種として実在したとする説も出ている）

　電話一本でどこへでも、それが鍵屋の心意気！
　もちろん最近は電話だけでなく、Webでの申し込みも受け付けている。
　シーサイドタウンの老舗の錠前屋『鍵のあつみ』、その看板娘こそ、天下無敵のキーマスター、渥美 ニナなのである。
　ひとたび依頼さえ入るなら、ニナは島中どこだって、軽自動車で駆けつける。
　東ニ故障ノ錠前アレバ、行ッテ解錠シテヤリ、西二ツマッタ鍵穴アレバ、行ッテソノ鍵ゴト交換ヲ請ケ負ヒ、南ニキー閉ジ込ミの車ヤ二輪ガアレバ、行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ……とまあ書いていたキリがないからやめるとして（決して『北』を思いつかなかったからではない！）、鍵のトラブルで困ったときには、いつでもたいへん頼もしいニナお姉さんなのだった。

　さてその頼もしいニナも、本日はちょっと勝手が違うよう。
「鍵はかかって……なさそうですね」
　頭が混乱する。
　なぜ段ボール製の恐竜が？
　なぜ動いて？
　なぜ自分を襲ってくるのか！？
　あれは確か、オルニトミムスというのではなかったか。ひらべったい頭して、尾が長くダチョウみたいなフォルム、クチバシもあるようだ。それが爆走しながらこっちに来るではないか。明確な害意をもって！
「鍵はどこですか？　というより、あれは何ですかっ！？」
　いつも飄々としているニナだが、さすがにこれには戸惑った。仕事の依頼を受けてきたはずなのに、どうもトラブルに巻き込まれたようなのである。
　ニナは振り向こうと思ったがやめた。車に駆け戻ろうにも距離があり、身を隠せそうな岩や茂みも見あたらない。
　その代わり真正面を見る。敵はちっちゃいのだが小兵だからといって、軽く見てはいけないのが爬虫類というものだ。こうなれば……。
　ニナは肚をくくって工具箱を足元に置いた。商売道具は大切にしたい。
　そのかわり手早く木の枝を拾い、その先端に手頃な岩を押しつける。
「がちゃん」
　一言短くつぶやいた。するとどうしたことか、岩と枝は最初から一体であったかのように強固に接着されハンマー状になったのである。
　即席武器が完成した。これはニナの『ろっこん』、発動時の接触状態で対象同士を接着するという能力の発現だ。
　さあもう躊躇している間はない。立ち上がるや否、彼女は行動に入った。
　ハンマーを握った両腕をしっかりのばす。
　あと注意するのはタイミングだけ。ここで恐竜が射程内に入った。
「よし！」
　右足を軸にして、オリンピックで見たハンマー投げ競技の要領だ。体を使ってぶん回す！　ぐんぐんぐんっ、と風がうなるほど大回転して、ニナは重く硬いハンマーの横殴りの一撃を、遠心力こめてごすっと恐竜に叩きつけたのである。
　ぎゃっという声がしたかと思いきや、見事恐竜は頭を砕かれて、ただの紙箱に戻ったのであった。
「なんだ、怖がることないですね」
　思ったよりあっさりしていた。この初撃でふらついた敵の、足を払い頭を殴って倒すつもりだったのである。まあしょせんは段ボール、耐久力も考えるとこんなものかもしれない。
「……ならせいぜい、暴れてやろうじゃないですか」
　という語尾がちょっと上がっている。ニナの口元に、どこか少年のような挑戦的な笑みが浮かんでいた。
　これが誘ったわけでもなかろうがガサッと音がして、別のオルニトミムスが顔をのぞかせた。近い。ところがこれも、ニナにとってはネギを背負ってきた鴨のようなものである。
「ではこういうのはどうでしょうね？」
　瞬時に思いついたテクニックを試すとき！　彼女は即席ハンマーをもう一度フル回転させた。ところが今度は敵との距離がある。でもこれでいい、狙いすまして。
「かちゃり」
　ニナはまたつぶやいた。これは同じ『ろっこん』を解除する合図の呪文（スペル）、すると岩はたちまち慣性の法則に従って、飛び道具と化しオルニトミムスの胴体に激突したのだった。これも一撃必殺の結果となる。
「うーん、普通に棒で殴るか蹴るかの方が身軽でやりやすいかな？」
　などといいながらもう、夏休みのイタズラ小僧みたいな探究心と好奇心いっぱいの目を輝かせるニナなのであった。
　炎のように赤い前髪を払うと、工具箱を片手にニナはゆく。
　錠前屋さんのお姉さんは少し休業といこう。しばし段ボール恐竜を獲物とするハンターとして、ひと暴れするのも悪くなさそうだ。