予防注射の秋｜リアクション

予防注射の秋

△ふたたび寝子島総合病院　

「次は予防接種の患者さんね。今日からインフルエンザ定期予防接種の受け付け開始だったわね」　
　寝子島総合病院勤務の内科医、深倉理紗子は、問診票に目を走らせた。
　この時期は通常の診察業務に加えて予防接種の対応もしなければならず、ただでさえ忙しいのがさらに忙しくなってもう大変なのだ。
　それでも今日は外勤のドクターが来ているからまだましなほうだと思う。

（……注射……できればしたくないです。というか、そもそも病院苦手ですし……）
　中学二年生の津島直治は、一人待合室で不安と戦っていた。
（予防注射なんてしたところで、インフルエンザにかからなくなるわけじゃないのですよね……。この注射……受ける意味あるのでしょうか……？）
「何もしないよりましだろ？」なんて叔父さんに言われて来たけれど。
　待合室は病院独特の消毒の匂いやお年寄りの声に満ちている。
　明るく話している人もいるが、やはり暗い感じで病気の話をしている人も多かった。
　杖をついて歩くお爺さんと、車椅子の患者が廊下ですれ違う。
　忙しそうに走り回る看護士さんの姿も、心を浮き立たせるものではなかった。
　そして注射で泣いているらしい子供の声……
（病院にあまりいい思い出がないので気分が乗りません……）
　そんなことを考えていたら、注射する前に気分が悪くなってきた。
（いっそこの場で倒れてしまいたいくらいです）
　などと思っていると、
「おや、お兄ちゃん顔色が悪いんじゃない？　大丈夫？」
　隣にいたお婆さんが声をかけてくれた。
「……俺は平気だよ。おかまいなく」
　倒れてしまいたい、などと言うわけにもいかず、強がってしまう。
　直治は内心では敬語で物を考えるのに、家族の前以外は話すときはぶっきらぼうなのだ。
「津島直治さん」
　看護士さんの声が響いた。
（いよいよですか……）
　内心ドッキドキだが周りにそう悟られないように努めて平静を装う。

　診察室に入ると、綺麗な女医さんが待っていた。
　いざ注射かと思うと、直治の緊張はピークに達する。
「こんにちは。津島直治さんね」
　女医……理紗子はにっこり微笑む。
（緊張してるわね）
　まずは軽く雑談して緊張をほぐそうと思う理紗子。
「はい……あ、あの……今日は、よろしく……」
「わかったわ。こちらこそよろしくね。そんなに緊張しなくても大丈夫よ。あなたは中学生かしら？」
「はい……い、痛くない……ですよね？」
　思わず素の口調になってしまう直治。
「やはり痛いのは嫌よね。私も痛いのは嫌だもの。いくつになっても注射が嫌いな人は、針が自分に刺さるという感触自体が気持ち悪いんでしょうね」
「はあ……」
「変な感触が起こらないように注意して刺し込むわね。それじゃ、始めましょう」
　理紗子は直治の腕を握ると、そっと針を押し当てる。
　怖いと思いつつも、注射針をじっと見てしまう直治。
　針がすっと差し込まれ、抜かれる。
　驚いたことに、確かに痛くなかった。
　しかし緊張で喉がカラカラになった直治は、診察室を出るまでしばらく放心状態だった。
（お医者さんとはいえ、あんな綺麗な人の前で素を出してしまいました……こうやって予防接種までしたんですから、病気にはなりたくないですね。日々気を付けないと……！）
「おや、元気になったみたいだね」
　先ほどのお婆さんにまた声をかけられた。
「……元気だよ」
（たまたまかな……この次受ける時も痛くないといいな）
　そんなことを思いつつお婆さんに答える直治だった。　
　

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