予防注射の秋｜リアクション

予防注射の秋

△寝子島総合病院待合室にて

「はあ……」
　待合室。問診票を出し終えて、遠矢護は何度目かのため息をついた。
「やっぱり受けないとダメだよね。去年インフルエンザにかかっちゃったし……寮だから、かかったら他の人にも迷惑かけちゃうだろうし」
　わかってはいるのだが注射は苦手で、護は小さい子のように怯えていた。
「はあ……」
　トイレに立ってみたが、気持ちは一向に落ち着かずまたため息が出てしまう。
　席に戻る途中、参考書を読みふける見覚えのある姿が目に入った。
「八神さん！　どうしたんですか？　どこか悪いんですか？」
「悪くならないように予防をな。遠矢もか？」
「あ……はい、僕も予防接種に」
　いつも通りの落ち着いた様子で、八神修は護を手招きし隣に座るよう勧めた。
（八神さんの前でかっこ悪いとこ見せられないな）
　隣に座った時、小さい子の泣き声が聞こえ、護はびくっと体を震わせた。
（不安そうだな……）
　護を見て修がそう思った時、看護士に呼ばれた。
「八神修さんですね、熱は測ってますか？」
　看護士に、問診票を渡される。
「はい、さっき測ってきました」
　そう答えて修は席に戻る。
　隣では護が緊張しきった顔で子供の泣き声を聞いていた。
（小さい子泣いてる……あの子も受けたのかな。痛いんだろうな……嫌だな。帰りたい。やだ）
　問診票を正確に記入し、同意欄にサインして提出した修が席に戻る。
（軽い雑談で遠矢の不安を和らげてやるか）
　そう思い、参考書をしまって話し始めた。
「インフルエンザの型は大きく分けて三種類あるんだ。A型、B型、C型と」
　しかし護は恐怖のあまり修の話が全く頭に入らない。
「そうですね」
　入らないまま生返事をしている。
「このうちCは大きな流行は起こさない。ワクチンの決め方だが、国立感染症研究所が昨シーズンの流行の分析をまず行って……」
「そうですね」
「予想が外れたら大変だから責任重大だよな。外れた年も有るのは内緒だが」
「そうですね」
「風邪の予防としては栄養と睡眠……あとは手洗いとうがいで、特別なことはしていないが、遠矢は何かやってるか？」　
「そうですね」
　流石に修は違和感を抱いた。
「その問いに『そうですね』は可笑しいだろ。そういえばさっきからソウデスネばかりな気がするぞ」
　護を観察しながら修は言ってみる。
「酸素発生型光合成を行う生物で、一部のコケ・シダ・種子植物を除いたものの総称は？」
「そうですね」
「鬱と逆の状態は？」
「そうですね」
「奏でるの音読みは？」
「そうですね」
「じゅげむじゅげむごごうのすりきれ」
「そうですね」
「……だめだこりゃ」
「そうですね」
　苦笑する修に、機械的に返事を繰り返す護だった。
　修は護の手首に手を伸ばす。握って脈をとるが、護は反応もせずされるままになっていた。
（大分脈が早い……顔色も白い。これは……もしかすると怖い、のか……）
たかが皮下注射１本がそれほど怖いのか。修には理解できない。　

「遠矢護さん」
　名前を呼ばれ、ビクッ！　と護が反応した。
　しかし立ち上がらない。
「遠矢護さん、１番の診察室へお入りください」
　もう一度呼ばれて、ようやく立ち上がる。
「あ、ぼ僕が呼ばれてるんですね。ぼんやりしてました。い、行って来ます」
「ああ……」
早く不安から開放されることを祈りながら、修は護を見送った。
　

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