予防注射の秋｜リアクション

予防注射の秋

△三夜先生の出張勤務

「今日は予防接種か」
　予定表を見てつぶやいた三夜霧人は、個人病院「三夜医院」の開業医である。
　本日は休診日。しかし彼は白衣を着て寝子島総合病院にいた。
　総合病院にはよく外勤に来ている。
（俺は医者としてまだ駆け出しだ、こういう所で経験を積まなきゃならん。自分の所が休診日だからって休んでいられない。……金も欲しいしな）
　秋は比較的医者が暇な季節である。良いことではあるが経費はかかるので、開業医としては喜んでいられない。
（注射が好きな奴はあまりいない。手早く終わらせて安心させてやることだ）
　準備を済ませ、問診票の病歴やアレルギーの有無を確認する。

　看護士が名前を呼んでからしばらくして、護が入ってきた。
（やっぱり帰る……今、気分が悪くなったって言ったら注射されないよね）
　護は、診察室に入ると一気に緊張が高まっていた。
「腕をまくってくださいね」
「え、あの……」
　しかしてきぱきした看護士さんに腕まくりされてしまう。
（気が弱そうだな）
　一見して護の性格を見てとった霧人は、にこやかな笑みを浮かべる。
　患者を不安がらせないように、診察室では意識して人当たり柔らかくかつ堂々とした態度を取るのだ。
「こんにちは。遠矢護さんですね。アレルギーはないですね」　
　普段ワイルドな口調も、診察中の患者や病院関係者には丁寧語に改める。
「は、はい。でも、あの……」
（早く言おう、気分が悪くなりましたって）
　しかし緊張のあまり言葉が出ない。
「大丈夫ですよ。注射は苦しめるためのものじゃない、病気から守るためのものだから」
　動揺を見透かしたように、切れ長の目を細めて医師は言った。そして護の手をつかむ。
「チクッとするのは一瞬だけです。力を抜いて」
（って、わあもう打たれる……！）
　手遅れであることを護は悟り、思い切り顔を背けて目をぎゅっとつむった。
「あ、ありがとうございました……」
　消えそうな声で、痛みをこらえながら護はようやく言った。
（痛かった……）
　涙が湧いてきた。診察室を去りながら目を手の甲でごしごしこする。
（目、赤くなってないかな？）

「おかえり。大丈夫か」
　待合室に戻った護に、修は声をかけた。
「終わりました。注射で泣いたりしませんよー。も、もう高校生なんだし」
　そう言って護は修の横に座る。
　修は、護の涙には気付かないフリをした。
「大丈夫だよ。たかが皮下注射じゃないか。もう血も止まっているしなんてことはないんだよ。よく頑張ったな」
　頭を撫でられて、護は涙をこらえながら笑顔を見せた。
「八神修さん」
　看護士の声が響いた。
「俺も一寸行ってくるよ」　　
　修は立ち上がると、もう一度護を撫でて診察室へ向かった。

　クールそうな少年に、改めて霧人は問診票を見る。
（さっきの子と同じ年か）
「八神修さんですね。アレルギーはなし。体調に問題もありませんね」
「はい」
（特にアドバイスは必要なさそうだな）
　霧人はそれでもさっきと同じように、注射をしながら気遣う声をしっかり掛け続けた。
　修の注射は滞りなく終わった。
「ありがとうございました」
　礼をいい退室する。
（遠矢は落ち着いたかな。安心させてやらないとな）
　

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