秋の夜、満天の星の下で｜リアクション

秋の夜、満天の星の下で

●内科医の休息
　病院の裏口のドアを開けると、顔面いっぱいに冷たい夜風が吹きつけた。
　泣きそうな顔になるのをこらえ、深倉理紗子は目を瞬かせた。
　寒さのあまりに秋冬用のロングコートを抱きしめ、風が吹き止むのを待つ。
「もう。疲れてる日に限ってなんでこんなに冷え込むのよ……」
　朝は６時半、帰る頃には１１時過ぎ。
　病院勤務医となって以来、自宅と職場の往復だけで日々が成り立っている。
　まつげに霜でもついてそうなくらい、外灯がにじんで見えた。
　夜の街はやけに静まり返っていて、寒さをいっそう引き立たせる。
　恨めしそうに空を見上げたとき、理紗子は頭上いっぱいに広がる光景にはじめて気がついた。
「あ……星、きれい」
　空気が冷たく感じられた理由が、理紗子にも今やっと理解できた。
　晴れ渡ったこの日の天気は雲や大気のよどみを遠くへ押し流してしまったのだろう。
　肉眼ではなかなか見えることのない小さな星たちまでもが、この日の夜空には集っていた。

　多忙な日々に失いかけた感性を取り戻すように、そっとひとり呟く。
「こんなにたくさんの星が輝いてたのね」
　ポケットの中で、携帯の着信バイブがわずかに鳴る。
　取り出して確認したが、大して急ぐことのない用事とわかって理紗子は静かにサイレントモードに切り替えた。
　仕事に追われつづけ、いつしか心の余裕を失っていた。
　明日の朝も早いし、どこまで夜更かしをして平気かもわからない。
　けれど、長らく心の洗われる体験をしていない彼女にとって、今必要なのは布団の中での休息ではなく、むしろこの星空の下での休息であるように思えた。
　大丈夫。眠れる時刻までには帰る。
　今日この日ぐらいは、疲れた自分をいたわってやりたかった。

　コンビニで買ったホットレモンのボトルを手のひらで転がしながら、暖をとる。
　日付の変わる前の寝子ヶ浜海岸には、意外にも何人かの先客がいた。
　座れそうな場所に腰かけ、空へむけて感嘆のため息をつく。
「……何年、こうしてまともに夜空を見上げてないんだろう」
　ちかちかと瞬く天の星。
　思い出せる限りの星座の名前を浮かべていくが、忘れてしまったものも多い。
　今の季節には、どの星座が見られるのだろうか。
「星座。意外とわからないものね……せめて星空早見表があったら見つけやすいのに」
　仕方なさそうに力なくほほ笑む。
　こうして星空を見ている間は、束の間現実を忘れることができた。
　誰に迷惑をかけることもなく、忙しい日々を忘れていられるのがありがたかった。
　星の海が疲れた心を匿い、しばし現実から守ってくれるというのだから、その広い懐に甘えるぐらいは許されるだろう。
「……また、こんな夜空を見られるかしら」
　次に時間ができたら、そしてもし空に雲がなかったら……。
　その頃には、この忙しい生活にも何らかのいい兆しが見えていることを、理紗子は静かに願った。