戻ってきた記憶｜リアクション

戻ってきた記憶

　窓枠には湿った雑巾がぐったりとした形で置かれていた。部屋の隅には掃除機が見える。ノズルは壁に立て掛けられていた。
　塵一つ落ちていない部屋に刻人・F・ミセリアがいる。両足を投げ出した姿で両手を天井に掲げた。綾取りのような持ち方でシルバーのチェーンを見つめる。
「ヒマな時に掃除すると、こんな良いことがあるんだね」
　チェーンを窓からの光に当てて目を細める。宝物を手に入れた子供のように無邪気な笑顔を見せた。
「無くなったと思って諦めてたんだけど、意外な隙間から出てきたよ」
　刻人は膝に乗せた一枚の写真に語り掛ける。樹の傍らで柔らかい笑みを浮かべた女性が写っていた。
「おっと、妻のプレゼントなのに、これは失言だったかな」
　写真に向かって笑いながら舌を出した。そうだ、と声を上げた刻人は左の薬指に嵌めていた指輪を外し、チェーンに通して首から下げた。シャツの胸元で光る指輪は立派なペンダントトップとなった。
「ふふ、思い出したよ。僕が自炊するって言ったら『指輪が邪魔になると思うからチェーンで首に下げてね』って指輪と一緒にくれたんだよね」
　写真の女性の髪に指先を当てて撫でるような動きを見せた。そこでコツンと自身の頭を小突いて頭を下げる。
「ごめんねえ、自炊とか言ったのにレトルトやコンビニ弁当で済ませちゃってさ」
　キッチンには昼食の名残のトレイが置いてあった。ダメだなあ、と刻人は他人事のように言って立ち上がる。写真はシャツの胸ポケットに収めた。
「たまには自炊してみるかなあ」
　まずは冷蔵庫に当たる。閑散とした中にはスポーツ飲料と飲み掛けの牛乳パックが入っていた。野菜室には疲れ果てたようなネギが横たわる。緑色の葉の部分が茶色く変色していた。
「まいったなあ」
　刻人は明るい声で言った。視線を下げてチェーンの一部を摘まむ。指触りを確認するように動きのあと、玄関の方に目を向けた。
「食材から買わないとダメだねえ。それとチェーンのくすみもなんとかしたいね」
　その五分後、黒いコートを羽織った刻人は部屋を出た。首を縮めるような動作で身を震わし、繁華街の方に視線を定めた。

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