幼き日の君へ｜リアクション

幼き日の君へ

■変わる自分、変わらぬ自分

　目の前には、項垂れた少年の後頭部。背後からなので顔は見えないが、多少背が高いだろう、か。茶の髪はあちこちに跳ねている。
　須崎蒼志はじっとその後姿を見つめていた。
（……なんだこれ）
　学習机とベッドのある、シンプルな部屋。そこは確かに自室だったが、ところどころ、今と様子が違う。
　机に並べてある参考書は、中学受験用のものばかり。使い込んだ様子のそれらが整然と棚にしまわれている。
　蒼志は声を掛けることも出来ず、状況をじっと見つめていた。
　部屋の様子から察するに、恐らく蒼志が小学生だった頃だろう。
（そうだ、確かこの頃は……）
　蒼志は思い出す。これは、合格発表の日の自分だと。

　昔から、親の喜ぶ顔が好きだった。
　蒼志が努力を重ねれば、両親は喜んで蒼志を褒めてくれた。
　もっとその顔が見るために、蒼志は勉強をして、結果を出す事に決めた。
　予習復習を欠かさず、参考書を購入し、机に向かって問題を解く。苦痛ではなかった。蒼志が難しい問題を解けるようになれば両親は蒼志を褒めてくれたし、蒼志自身に満足感もあった。
　参考書を読み終えてしまえば、新しいものを。
　問題集を解き終えてしまえば、更に難易度の高いものを。
　そうして、更に更にと追い求めていった結果、偏差値の高い中学を受験する事に決めた。
　手ごたえはあった。だが、合格発表当日、蒼志の番号は掲示されていなかった。
　失意を胸に帰宅した蒼志を、責める者はいなかった。もちろん、両親が怒ることもなかった。
　ただ、蒼志が自分達のために無理をしていたのではないかと、それに気付けなくて申し訳ないと謝罪の言葉を掛けられた。
（無理、してたわけじゃなかったんだけどな）
　当時のことを思い出しながら、蒼氏は心の中でぽつりと呟く。
　目の前で項垂れる少年は、顔を上げずにただ机の前に座っている。
　泣くこともなく、やけを起こすでもなく……両親の言葉と、申し訳なさそうな顔を思い出していた。
　努力してもどうにもならないことはある。結果は変わらず、その為に費やした時間は戻ってこない。――これが、当時小学生だった蒼志が知ってしまった事だ。
（この性格になる事を決めたのも、この時だったな）
　それからの蒼志は、両親へアピールするために、現在のような性格へと変えた。
　受験に失敗したことなど気にしていない、元からこの性格だったから大丈夫だと態度で示していく。
　親が責任を感じることがないように、もう二度とあんな顔をさせないように。
　そうやって中学の三年を過ごすと自然になってくるもので、今では昔の性格に戻せと言われても、違和感しか感じないだろう。
（……なのに……）
　蒼志は項垂れる自分に向けて手を伸ばそうとする。その手は、細かく震えていた。
　声を掛けようにも、言葉が出てこない。唇を微かに動かし、何か言葉を発しようとしても声にならなかった。
　伸ばしかけていた腕を下げて、震えを押さえ込むように強く握る。
　元からこの性格で、既に気に掛けていないはずなのに。
　蒼志は幼い自分に触れることも、声を掛けることも出来なかった。
　俯いて唇を噛むと、蒼志の鼻先を花の香りが擽った。

　顔を上げると、そこは自室――現在の、自室だった。
　机の前で項垂れる少年の姿は、当然ながらない。
（夢……いや、夢だったのかな……）
　ぼんやりと考えながら、蒼志は握っていた手を緩めた。よほど強く握っていたらしく、掌には、爪跡が残っていた。