お食事処たそがれ｜リアクション

お食事処たそがれ

　『食べたもので身体は出来る』。それは御剣刀の祖父の口癖。強い体と心を育てたければ感謝して食べなさいと、祖父は何度となく口にした。教えを身体で示すかのように日々鍛錬し、健啖家だった祖父の背中。それに憧れて剣術の道を志し、幼い刀は渋る祖父に何度も頭を下げる。根負けした祖父に弟子として認めてもらったものの、待っていたのは更に辛い鍛錬の日々。置いていかれないよう食らいつく日々だったが、それでも。その間、一度も心が折れなかったといえば嘘になる。弱音こそ口にはしなかったが、これ以上強くなれないのではないか……そんな疑問はすぐ、刀の強い瞳に影を差した。

　そんな時、祖父は決まって「飯だぞ」と刀を呼ぶ。献立はいつも、祖父お手製のカレーライス。どこにでもありそうな普通のビーフカレーのはずなのに、やけに美味しかった思い出が刀の心と胃袋によみがえる。普段は祖母まかせで滅多に台所に立つことのない祖父だったが、これだけは特別。普通で特別、そしてとっておきだったと分かるあの味。
　刀が料理を覚えたら作り方を教えてくれると約束していたが、それは残念ながら果たされることはなかった。だから。

　白いカレー皿にふんわり盛られた炊きたてのご飯、その上にたっぷりとろりとかかった濃いめのカレールウがそれぞれ、誘うような湯気をたてている。よく煮込まれて角が取れたじゃがいもに人参、表面をさっと焼いて旨味が逃げないようにした牛バラ肉の角切り。ごはんの端に福神漬けが最初から添えてあるのも、カレー皿の形も、何もかも刀の記憶のままだ。

「（うん、この味だ……美味い）」

　スプーンでごはんを大きく崩し、まずはルウだけ絡めて一口。はふっ、とおいしい湯気が唇から漏れる。カレー粉の香ばしさと熱さの後にすぐやってくるのは炒め玉ねぎの甘みと牛肉の旨味、後からじわりとくる辛さを煮崩れてとけたじゃがいもがやさしく中和させる。続いて牛肉を噛みしめ、飲みこみながら間髪を入れずじゃがいもにかぶりついて。夢中で食べるうち、ふと顔を上げれば隣に祖父がいるような気さえして、刀は思わず鼻をすすって涙をこらえた。辛かった時、悔しかった時だけではない、試合に勝った日や、いい事があった日も、祖父はこのカレーで自分をねぎらってくれたのを思い出す。

「（安心しろよ、祖父さん）」

　祖父が亡くなって時が流れた今も、刀は剣術の修行を続けている。歩みは決して早くないが、あの頃の自分よりは弱くないと胸を張れる。だから。

「（いつか必ず追いついて、追い抜いてやるからな。あの世で覚悟してろ）」

　一人小さく頷きながらの呟きは、祈りにも、誓いにも似ていた。

「あー……美味かった」

　あっという間に空いた皿を見つめ、刀は満足気に息を吐く。だがこのカレーの作り方を、刀は知らない。祖母も教えてもらっていないと言っていたから、作り方を知っているのは今のところ、現実的ではないがこの食堂の主と言っていい誰かだけ。カレーを運んできたときも何一つ言葉をかけてこなかったその誰かに作り方を聞いて、果たして教えてもらえるのだろうか？　刀はしばし考えを巡らせ、あることを思いつく。

「あの、おかわりってもらえるのかな」

　すると、刀が食べている間に厨房の奥で暇を持て余していた食堂の主らしき誰かが、なんとカレーを最初から作り直し始めたのだ。
　コンロに火がつく音、フライパンで何かがじゅわりと熱せられている。ルウの玉ねぎだろう。刀は玉ねぎを炒めるのにバターを使っていたが、今バターの匂いは漂ってこない。この濃厚で食欲をそそる匂いは牛脂とにんにくだ。熱して脂が出たフライパンで先ににんにくを炒めて香りを出し、そこに玉ねぎを入れているようだ。煮込む前の牛バラ肉も牛脂で焼いているのは刀も知っていたから、なるほど脂を同じにするのは理にかなっていると興味深げに頷く。
　そして次はミキサーが何かを細かく混ぜる音。この爽やかな酸味を思わせるものは生のトマトだろうか。いや、生ならもっと青い香りがするはず、きっとホールトマトの缶詰だ。よく煮込まれてトマトが入っているとは気づかなかったが、味の記憶を辿れば、牛の旨味と脂でくどくなりがちなカレーのいいアクセントになっていることは想像出来る。
　帰ったらこれらの気付きを祖母に教え、忘れないうちにもう一度自分でも作ってみよう。このカレーを思い出とともに受け継いでいきたい、いつか自分も祖父のように、誰かに自分の生き方を誇りたい。おかわりを待ちながら、刀はその時を思って嬉しげに目を細めた。

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