帰って下さい冬将軍！｜リアクション

帰って下さい冬将軍！

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　シーサイドタウン、単身者用マンションの一室。その浴室にシャワーの音が響く。
　すっかり冷えた体を温め、朝鳥さゆるは浴室を後にした。
　脱衣所に置かれたタオルを勝手に拝借し、肌に付着する水滴を拭う。昨夜、枕を共にした男が起きた気配はない。
　タオル一枚という姿で、さゆるはベッドの下に脱ぎ捨てられた衣服を手にする。男が起きて、面倒なことになる前に出て行こうと服を着るが、どうにも寒い。秋冬兼用の服といえど、雪の中を歩くのには心許無い。
　自分の体を抱きしめるようにして、二の腕を擦りながら室内を見回すとクローゼットが目に入る。扉を開けると、冬物のコートが何着か吊るされていた。
「……借りるわ」
　寝ている男に向けて小さく告げ、コートに袖を通す。多少大きくはあるが不恰好というほどではないし、防寒には十分だろう。
　扉を開けると、冷たい外気に一瞬体を縮み込ませる。白い息を吐きながら積もった雪を踏むと、ブーツ越しに雪が崩れる感触が伝わった。
「こんにちは、お嬢さん。今、時間はあるかな？　良かったら、この島を案内してもらいたいのだけれども」
　立ち止まって声の主を見上げる。外国人……だろうか、見慣れない格好をしている。特に予定もない、ならばこの男に付き合ってみるのも一興かとさゆるは頷いた。
「ええ、構わないわ。……旅行か何か？」
「ありがとう、儂は冬将軍、世界を旅しているんだよ」
「……冬将軍？　面白い名前ね。あたしは……さゆる。朝鳥さゆるよ」
　冗談ともとれるその名前を聞いて、さゆるは思わず空を見上げた。この雪と関係あるのだろうかと、足元に積もった雪を爪先でつつく。
「さゆるさんか、可愛らしい名前だ。よく似合っている。……それでは、よろしく頼むよ」
　さゆるは頷いて、雪の中を歩き始めた。

　昼しかやっていない和食屋、見落としてしまいそうなほど小さいけれど、珍しい品物ばかりを取り扱う雑貨屋、月に二度しか開かない時計屋――シーサイドタウンにある、そんな店を回りながらさゆると冬将軍は取りとめもない会話を交わしていた。
　今までに訪れた土地や、そこに生きる人々の話。さゆるは相槌を打ったり、問いを投げたりするのみ。自分のことはあまり語らなかった。
「……お嬢さんは、随分と……変わった形をしているようだ」
　会話が途切れ、二人の間に流れる沈黙を破るかのように冬将軍が言葉を零した。さゆるは、思わず足を止める。
「それは、見た目のこと？」
「いや、容姿のことではないよ。お嬢さんの容姿は美しい。儂が言ったのは、心のあり方……、歪、と言ったら悪く聞こえてしまうかな。例えるなら、まるで……秋に降る雪のような、そんな感じか」
　胸の奥がぎり、と痛んだ。一瞬呼吸の仕方を忘れ、表情が強張る。自分が動揺していることに気付き、冷たい空気を深く吸い込むと強張った表情を元に戻す。
　夜ごと違う人間と体を重ねる。そんな生活を続けていた自分は、いつしかどこかがおかしくなってしまったのだろう。
「……季節外れの雪でも、気の早い冬を感じるだけマシよ」
　さゆるは平素と変わらぬ様子で言葉を紡ぐ。鉛色の重たい空を見上げ、そして冬将軍に視線を向けた。
「あたしは……何かが壊れちゃったみたい。壊れたものは、どうやったら直せるかな？」
　唇を僅かに震わせて、白い息を吐き出す。薄く微笑んではいるものの、どこか表情には憂いが漂っていた。
　一拍置いて、顔を俯かせ、口元を押さえて小さく噴出す。
「冗談よ」
　顔を上げた時には、さゆるの表情から憂いはなくなっていた。