温かい気持ちになれるような｜リアクション

温かい気持ちになれるような

　　【分かっているけれども】

　今日は接客だ。
　今日はお客さんに飴を勧められた。
　今日はカップルが来店した。

　飴は困っただけで、特に何かがあった訳ではない。
　カップルのお客さんも、漫画のフィクションであっても苦手なだけで、カップルそのものが悪い訳じゃない。
　仮にもお客さんの前だった。内心の動揺は隠せていただろうか？
　……少し、自信が無い。表情が引きつっていたような気がする。

　八葉ひまりは思考を逡巡する。

　今日は家族連れのお客さんが来店した。
　今日は子供のお客さんが一人で来店した。

　家族連れのお客さんは見ていて心が温かくなって、そのまま微笑ましく思えて見守った。
　子供のお客さんが、お使いでどれを買うべきか悩んでいる姿を見掛けた時には声を掛け、自分でも驚くほど柔らかい笑顔で接客をする事が出来た。

　ただ、今日は接客だ。

　ただ……接客が苦手なのだ。

　「ひまり。どうかしたの？　具合でも悪いの？」
　キッチンに響く穏やかな声。
　ひまりは空いた時間で食器を食洗機にかける為に、水で軽く汚れを流す最中。
　その手に水を浴びせながら、つい先程までの事を思い返して、手の動きを止めている自分に気がついた。
　ひまりの母親が心配そうにレジカウンターの端から、洗い場を覗き込んでいる。

　「……何でもない」
　「……そう……」

　ひまりは、ついと顔を反対側に背けて、手早く食器洗い機に設置していった。
　ひまりにとって、今の母親は後妻にあたる。
　もう９年もの前の話であるが……こればかりは、心の距離だけは、年数で片付く問題ではない。
　顔を背けて見てこそいないけれども、今のひまりが「母さん」と呼べない女性の表情だけは分かる。

　「………………」
　ああ、また悲しませてしまった──その事はひまりの心も深く傷付けた。
　しかし、それでも。その女性を「母さん」と呼ぶ事は出来ない。

　この人が接客を中心にやっている。商品の梱包などの手伝いでこの人の隣には必ず立ち止まらないといけない時が来る。
　急ぎ、まだ乾いていない手を拭いて、レジカウンターに「あの人」以外いないのを横目に、逃げるようにフロアに出ようとして。

　急ぐあまり、その手がひまりの「あの人」の手にぶつかってしまった。

　【発動ろっこん条件】体に水分が付着した状態で他者に直接触れる
　【能力】言葉を発することなく自分の思考を相手に伝えることができる。相手が望めば交信も可能

　偶然にも、ひまりのろっこん【雨恋】が発動したのは一瞬の事であったから、明確な言葉として相手に伝わったか分からない。
　相手が「ひと」であれば発動していない可能性もある。
　ひまりはその可能性すら考える余裕も無く、驚いたように手を押さえフロアへ飛び出していった。

　──しかし、ひまりの母はそれを受けて、ほんの少しだけ伝わった、その感情を気の迷いだとは思わずに。
　その表情は、悲しそうながらも。それでも少しだけ、切なげに柔らかそうに微笑んでいた──