桜の花の舞うところ｜リアクション

桜の花の舞うところ

○　一日の始まりは朝食から

　寝子島高校のごく一般的な寮、桜花寮。
　男女別に分かれているが、男子寮の食堂は経費削減やスタッフの効率化のため閉鎖され、現在は男子も女子寮の食堂を使っている。

　ある平日の朝、東城六は桜花寮の食堂を訪れた。
　かなり早く来たのでまだ人は少ない。白いセミロングの髪の美形はひときわ目立った。
「おはようございます」
　にこやかに挨拶する寮母の座間トシコさんが鮭と納豆定食を渡してくれた。
「おはようございます……」
　夏休み前に引っ越してきた六だが、ここの生活にもしっかりなじんでいた。
　表情が乏しいのは眠いからではなくいつものことだ。

「薄っぺらい鮭だなー」
　どこからかそんな声も聞こえてきたが。
（今日もおいしい食事がいただける。今では当たり前になってしまったが、こうして毎日きちんと食事をとれるようになったんだな）
　席に着き食べ始めた六は、ご飯とおかずをかみしめながらそんなことを思う。
　六には家族がいない。他人の住処を転々とし保護されてからは施設暮らし。10歳頃まで学校に行っていなかった。
　子供の頃は数日間食べられないこともあった。
（もうあの頃みたいな不安も感じなくていい。学校に行って、勉強して絵を描いて寝る場所も着る服もあって）
　何に縛られることもなく何かを恐れることもなく自由に過ごせる。
　当たり前のように食事がとれることがどんなにありがたいことか。
　そうでない暮らしを経験したことのない人にはわからないだろうけれど。

　色んな人のおかげで今の自分があるんだ、と六は思う。
　気持ちでは感謝しているつもりだったが、それを言葉や態度にすることが今まで足りていなかった気がする。
（正直、どういう風にすればいいのかまだ良く分からないのだが、まずは言葉にするべきか……）
　鮭の皮はもちろんご飯粒一つすら残さず、きれいに食べた食器を置き、六はトレイを持って立ち上がった。
　食器を返却に向かい、トシコさんをちらりと見る。
　少しずつ学生が増えてきて、トシコさんは忙しそうだ。
（忙しそうかな、いやこれからもっと忙しくなるだろうし……こんなこと言ってもやっぱり自己満足なんじゃないだろうか？　でも……）
　誰かのために描いているわけではない絵だけれど、ほめられたら嬉しいように。料理だってほめられたり感謝されたりしたら嬉しいと思う。
　筆を取らなければ思いが絵にならないように、感謝は言葉にしなければ伝わらないのだ。
　迷いつつ、意を決して六は声をかける。
「あの……」
「はい？」
　こちらへ向き直ったトシコさんに、
「いつもおいしい食事を作っていただいてありがとうございます」
　そう言いながら六は丁寧に頭を下げた。
「まあ、嬉しいわ」
　トシコさんの顔がぱあっと輝いた。ごちそうさまでしたとはよく言われるけれど、ここまでしっかり感謝の言葉を伝えられることはそうそうない。
「こちらこそ、いつも残さず食べてくれてありがとう」　
　極上の笑顔で返事が返ってきた。
　いつもは無表情な六だが、少し嬉しそうに微笑みながら食堂をあとにした。

　それが、いつも通りだけどいつもとちょっとだけ違う寮の食堂の一日の始まりだった。

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