寝子島大橋をわたって｜リアクション

寝子島大橋をわたって

　寺社仏閣で有名な古都・鎌倉だが、知る人ぞ知るおしゃれな店もある。鎌倉駅東口から行ける小町通り商店街に、その店はある。
「見つけたにー。結構近かったに！」
七音侑と夢宮瑠奈の目的地、「ネコタコーヒー店」の前には行列が並んでいた。
「やっぱり休日だし、混んでるのねぇ」
　かなりの時間待ちそうだ。二人は小町通りのマップを広げた。
「このあとはどこ寄る？」
　瑠奈の問いに、侑は少し考える。
「んー、この和菓子屋さん美味しそう！」
「また食べるの？」
　侑のお菓子好きは筋金入りだ。瑠奈は苦笑した。

「ご注文は？」
「もちろん、ホットケーキに！それと紅茶！」
「私も同じで！」
　ようやくテーブルに座った二人は、店員に注文を告げる。この店はホットケーキが定番商品なのだ。
「ここのホットケーキ、テレビで見てからずっと食べたかったに。うにうに……楽しみだに～」
「あは、すぐには焼けないよ。ね、私スマホ変えたいんだけど、来月の新作が出るまで待とうと思って。ピンクのカラーの奴がすごく可愛いの！」
　焼き上がりを待つあいだ、二人はたわいない会話を始める。
「アウトレットモールに、新しい洋服屋さんが入るんだって。小物もかなり充実してるみたいなの。今度行かない？」
「うん……そうだに」
「どしたの？」
　一瞬上の空になった侑に、瑠奈は問いかける。
「え？ ……なんでもない、に」
　侑はすぐに、笑って答えた。
　
「おー、ほんとに一枚が分厚いに！」
　運ばれてきたホットケーキを見て、侑はすぐさま写メを撮る。
「外はさくっとしてて、でも中はふわふわねぇ」
　二人とも、バターとメープルシロップを贅沢にかける。
「いっただっきまーす！」
「わぁ、すごく美味しい！」
　ボリュームたっぷりだが、甘すぎないのでどんどん食べられる。侑も瑠奈も幸せモードに突入だ。
「でも、流石に多いかな。侑ちゃん、一枚追加で食べない？」
「いらないの？　なら、もらっちゃお！」
　二人は顔を見合わせて、屈託なく笑った。ちょっとした日常の、しかしとても大切な時間が、二人の間に流れていた。

　目標は一位。ただそれだけだ。
　篠崎響也は、静かに舞台中央へ向かっていった。
　プロの音楽家である両親を持ってコンクールに出ることにはプレッシャーもある。家族を捨てて音楽を優先する両親に対するわだかまりもある。そうした負の感情から、一度は本気で音楽をやめようと思ったこともあった。でも、結局自分は音楽を捨てられなかった。いろいろな事情があっても、自分は純粋に音楽が好きだったのだ。
　音楽があるからこそ、俺は俺でいられる―――ならば、この道で生きていく覚悟を決めよう。だから、一位を目指す。

　課題曲、「24の奇想曲」。早回しのリズムを崩すことはない。高音域の音程が不安定になることもない。終曲の見所、左手ピツィカートも確実に決める。どんな難所に差し掛かっても崩れず、安心して聴いていられる。正確無比、それが響也の演奏の特徴といっていい。
　だが、今日は普段の端正な優等生のような演奏では終わらなかった。技巧を見せつけるだけでなく、適宜テンポの揺れを作ったりして生き生きとした演奏に仕上げている。
　楽譜通りに弾くだけでは勝てないし、第一自分がつまらない。今日はこの舞台、そして演奏を楽しもう、という響也の決意の表れでもあった。
　自由曲は、ディニーク作曲「ひばり」である。ひばりのさえずりを見事に描写した愛すべき小品だ。生き物を描写する音楽にふさわしく、響也の音は躍動した。素早いパッセージはまさにひばりの鳴き声のものだし、長調と短調をしきりに行き来する曲調も、せわしない小鳥の動きのようだ。最後の音を華麗に飛ばし、響也は演奏を終えた。
　ベストは尽くした―――拍手を浴びる舞台上の響也の表情は、満足感に満ちていた。