寝子島大橋をわたって｜リアクション

寝子島大橋をわたって

第１章　それぞれの出立

「添乗員、ですか？」
　司馬佳乃は思わず聞き返した。
「ああ、本社命令でうちの支局から人を回してくれってさ」
「でもデスク、私は記者ですよ？ガイドなんてやったことありませんよ」
「本社命令なんだ、頼むよ。たぶん人手が足りないんだろ。司馬くんのお姉さん、ツアーコンダクターだったんだろう？」
「……私の得意分野とは関係ないですよ。ああ、困ったなあ」

　佳乃の勤める神奈川うみねこ新聞社は、寝子島発箱根温泉行きの日帰りバスツアーを企画している。商店街の福引当選者はツアーに無料ご招待、というわけだ。
　企画のことは知っていたが、まさか添乗員を命じられるなんて思ってもみなかった。記者の仕事こそ実直にこなしているが、佳乃はそんなに器用な質ではない。ガイドなどという未知の仕事なんてできるんだろうか？
「本社も無茶な命令するんだから……ああもう、考えててもしょうがないよね！」
　佳乃は退社すると、まっすぐ本屋に向かう。ガイドブックを買い込んで、一夜漬けで箱根温泉の勉強だ。

　休日の早朝というのは、なんだか妙に気分が昂まる。
「つっても、毎日休日みてーな生活してっけどさ」
　特に目的はないけれど、今日は寝子島を離れて遠出してみよう。獅子島市子は、愛車の"Ducati Myana250"を引っ張り出した。事故車だが、エンジンがかかれば何だって同じだ。
　Tシャツとジーンズという動きやすい服装の上に黒のメッシュジャケットを着込む。足元にはこげ茶のブーツ。シャツ以外は全てヴィンテージものだ。ハーフメットとゴーグルもちゃんと身につけた。
「日が高くなる前に、できるだけ進んどきたいトコだね」
　市子は単車にまたがると、エンジンをかけた。朝日が眩しく島全体を照らす。まだ秋もはじまったばかり、気温は急に上がり出す。
「まだ風もあっちーけど……悪くないよな、こーゆーのも」
　まもなく寝子島大橋に差し掛かる。市子はギアチェンジして速度を上げた。潮の匂いのする向かい風を切り裂くように進む。空は晴天だった。抜けるように青い空。吸い込まれるように蒼い海。直接、景色に突っ込んでいくような感触にとらわれる。
「綺麗……」
　市子は、小さく呟いた。時間帯は早いが、橋の上にはバイクや車の姿もちらほら見える。こうして風を切って思い切り走ると、邪念もなくなっていく。市子はすれ違ったバイカーに、右手を上げて挨拶した。
　寝子島に、しばしのお別れを―――

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