●エピローグ


　そんなこんなで大騒動となった一夜が明け。
　平和を取り戻した猫鳴館の大部屋では北原 みゆきの振舞う鶏肉とレモンの料理に皆が舌鼓を打っていた。デザートにはレモンタルトに、紅茶の用意もある。
「どんどん食べてね。おかわりはいっぱいあるから」
　戦いを終えはらぺこな皆は、命の食事とばかりにおいしくいただいた。

「みなさん、ありがとうございました。お蔭様で家に帰ることができそうです」
　皆と一緒にレモンタルトの欠片をご馳走になった鳶色彦は、感謝の面持ちでぺこり頭を下げる。
　森 蓮が鳶色彦に、小さなハーブの鉢植えを持たせてくれた。
「住まいの辺りに置いておくといいですよ。虫除けになります」
　綾辻 綾花もにっこりほほ笑む。
「鳶色彦さんのお住まい、お掃除手伝います。ろっこんが解けたから薔薇だらけかもしれませんし、万が一本物がいたら困りますものね。あ、そうだ、レモン。まだ余ってますから、皮を置いておきましょうか」
　鳶色彦は感激した様子だった。
「お心、痛み入ります。よろしくお願いします」

「アレクサンダー先輩は星ヶ丘に責任持って連れ帰りますよ」
　八神 修が立ち上がる。校門前まで車を呼んだそうだ。
　アレクサンダーは相変わらず眠りこけているが、校門までは竜司が運んでいくことになった。
　そのあとは修に任せれば何も心配ないだろう。
　ひとまず事件解決に安堵の吐息。そして修がもうひとつ安堵していることがある。
　「八神のだから食べるな」とメモを括っておいたハムスターが無事だったことである。
　当たり前といえば当たり前なのだが……。
「当たり前じゃないこともあるのが猫鳴館だからな」
　もしアレクサンダーの目が覚めたら、ハムスターを紹介しよう。そう思いながら猫鳴館を辞す。
　去り際、修は爽やかに振り向いた。
「そうそう。皆、宿題頑張れよ」

「さあみなさん。宿題の前に、もうひと頑張りして掃除を仕上げてしまいましょう。我々の猫鳴館は古い建物です。こんな事件が起こったのも、普段行き届かないところも掃除しなさいという猫鳴館の声かもしれません」
　蓮はみんなを見渡す。
「ゴキブリはアンモニア臭や腐敗臭、暗く湿度の高い場所を好みます。また人間の垢や毛髪、埃、和紙や油を食べることができます。水回りを中心に、家具や家電の裏もしっかり掃除しましょう。また、ゴキブリの糞は臭いで仲間を呼び寄せますから石鹸水でしっかり落として……」
「森ー！　俺たちに理屈は不要だぜ！」
　握 利平が笑った。
　皆、立ち上がる。さあ、もうひと息だ。


◇


　蓮や綾花、掃除班長の御巫 時子を中心に、掃除は着々と進められた。
　館内は藤堂 月乃があれこれ持ち上げてくれたこともあり、どんどんピカピカになっていった。
　シャワールーム脇の穴も、トタン板で見る間に塞がれてゆく。爆発時に飛び散った棟札には、名前だけでなく所持していたエッチな本の名前まで入っていたので、ぎゃーっと喚く寮生たちの手によってふたたび厳重に封印された。もっとも大田原 いいなだけは、そっと棟札を持ち帰ったようだけれど……。
　掃除を手伝いながらも猫鳴館男子警戒中の宇佐見 望月は、あたりに目を配る。
（マウルちゃんでも蓮ちゃんでもなさそうだよな……誰なんだ、いーなにさっきみたいな表情させるのは）
「もっちゃんセンパイ！」
　突然肩を叩かれる。この呼び方は……。
「真央ちゃん！」
　後木 真央はいつもの陸上部Ｔシャツをざっくりと着ていた。
　髪は濡れそぼち、ほんのりと石鹸のいい香りがする。どきっとした。
「……っと、風呂上り？」
「そうなのだ」
　真央は食事もとらず、真っ先にシャワー室に駆け込み、全身を真っ赤になるまで擦ったのだ。
　Ｇの名残は、毛穴のひとつにも残さないのだ、という勢いで。
「そーだ、もっちゃんセンパイいいところで出会ったのだ。もし暇なら手伝ってほしいのだ！」
「おう。俺様に出来る事ならなんでもいってくれよ」
　その暫くのち、Ｇの襲撃を受けた赤褌を山ほど洗濯してるふたりが目撃されている。


「薔薇の花びら、捨てちゃうの？　なんだか勿体ないね」
　食器の後片付けを終えて裏庭に出てきた北原 みゆきは、こんもりと積みあがった薔薇の山を見てそんな感想を漏らす。時子が箒で掃き寄せながら苦笑する。
「ポプリにして枕にするとか、私も考えたのですが……その、Ｇさんだった花びらを再利用するのはみなさんあまりよい気がしないのではないかと……そこで蓮さんと相談して……」
「お炊き上げすることにしたんだよ」
　薄い本を山ほど抱えた奈良橋 博美が、重たそうにそれらを薔薇の中に突っ込む。
　本はバリケードの役目を終えて、よれよれになってしまっていた。それでなくても――ろっこんで変化したものとはいえ――Ｇに触れたものである。一部の寮生を除いて、ほとんどが涙を呑んで本の破棄を申し出たのだ。
「蓮君が云うには、裏庭菜園で生ゴミを発酵させて肥沃土を作ってるんだそうだ。コンポストってやつだね。そこに入れて堆肥にしようか、って話も出たんだけど、まあ薄い本もあるしさ。結局、灰にして畑に撒く方がいいんじゃないかってことになってね」
「そっか。新しい命に生まれ変わるんだね。……で、蓮君は？」
　みゆきが尋ねる。
「コンポストの位置をずらしてる。寮からもう少し離しておくんだってさ」


　御剣 刀が邪衣 士の部屋の戸を叩いている。
「おーい。豪華な料理があると聞いて。入るぞー」
　逆巻 天野に唆されて期待を胸に扉を開けるが、部屋の中はしんと静まり返っている。
「邪衣？」
　高いところにぎゅうぎゅう押し込まれたぬいぐるみ。
　こぽこぽと音を立てる水槽。泳いでいるのはアロワナだ。
　かさこそと物音がして飛びのく。クモだ。部屋のゴキブリを仕留めてもらおうと、隠し飼っていたアシダカグモが放たれていたのである。刀はバチンと扉を閉める。
「なんだこれ！」
　料理にありつけなかったことを聞き、天野は大いに笑った。
「ごめんごめん。どっちにしろＧ料理でも振舞われるんじゃないかと思ってたよ」と云って。

　どんどんどんどん。
　猫鳴館裏庭菜園の傍から、白い煙が天に立ち上っている。
「……なんか、こんな光景、春にもみたね」
　宿題を終えていない人々が、わらわらと大部屋に集ってゆく。
　その中には綾花に誘われた鳶色彦もいた。皆と親睦を深めることにしたらしい。
　また始まるであろう修羅場を思いながら、天野はくっつきそうな瞼を擦った。
　――ああ、ひとまずは。
　心地よい惰眠をむさぼろう。
　よく働いたよ、本当に。


◇


　さて。
　九夜山山中にも一筋、白い煙が上がっていた。
　小刀祢 切奈と山猫の村雨くんの食事の火である。
　切奈はいそいそと風呂敷包みを開く。そこには――黒光りするＧの姿が。
　さすが村雨である。野生の勘で、本物ばかりを仕留めていたのだ。
「お～……村雨、こんなに取ったのですか～偉い偉い」
　切奈は村雨の頭を撫で、そいつを自前の鍋に突っ込んでゆく。
「母様が死んで生き残る為とはいえ幼少の頃から食べてきた大好物なのです～。美味しそうです～」
　いい焦げ具合に仕上がったそれを村雨の前に置くと、自分も箸でつまみ上げる。
　そして――。


　ガリッ！　もぐもぐ……





「――え？　夏休みの宿題？　……ああ、そんなものもあったねぇ……」



＜了＞