デンジャラス・スリッピー・ゾーン｜リアクション

デンジャラス・スリッピー・ゾーン

◇レディーたるもの
　旧市街の住宅街で突如、奇声があがった。
「ふああぁっ！」
　驚いた声というより、まるで猫がしっぽを逆立てて危険を訴えているような声だ。
「スべる、スべるのです！　道という道がスべってとまらないのです！」
　あわてて手をバタつかせる隣乃着子――まっすぐ進んだ先には、生ごみの袋がわんさかと。
「このままゴミ捨て場につっこんだら、つきこのレディーライフはおしまいなのです」
　もし誰かに見られたら、「生ごみ臭い」なんて陰で言われるにちがいない。
　根も葉もない噂がたち、いじめられる日々がはじまる――そんな想像をしてしまう。
（だれもみてないうちに、あのちからで何とかするのです）
　こんな状況を打破する力が、隣乃には備わっていた。
　しゃがんで靴に手をそえ、隣乃は魔法のかけ声をとなえた。
「くっつくのです」
　３、２、１――ぴたっ。
　かけ声から三秒後に隣乃のろっこんが働き、靴に粘着性を与えた。
　そしてつんのめった隣乃は、地面へ頭からダイブする羽目に。
「ぴぎゃっ」
　無事かどうかは別にして、ゴミ捨て場、回避である。

　痛むおでこをさすり、ゆっくり立ち上がる。
「い、いたた……たんこぶですんだのですよ～」
　誰も見てはいないかとあたりを見渡したところ、
　ぷるぷると体を震わせながらすべってくる少女がいた。
「あれは……同じ学年のロミーなのです」
　旧市街に遊びに来ていたロミー・クーパーだったが、急に足元がすべりだして思うように歩けなくなってしまった。
　うさ耳帽子をかぶってうなだれる様子は、さながら小屋の隅で縮こまるロップイヤーのよう。
（どうしよう……ここで転んだら痛いよね）
　戸惑いながらあたりを見渡し、ロミーもまた隣乃に気がついた。
（あ、つきこ）
　こちらを見ている隣乃の目は、それはもう転ぶ瞬間を見逃すまいと待ち構えているようで。
　転んでひざをすりむくのもイヤだし、同級生の隣乃に笑われるのも避けたい。
　迷った末、ロミーはえいやっと手をのばし、地面に手をついた。
　両手両足をついたまま、関節をガクガクさせるロミーの姿に、隣乃はぷっと吹き出す。

　おめでとう！
　ロミーはうさぎから生まれたての子鹿へと進化した！ ▽

「なんてテロップをつけたくなるのです」
　ロミーはこれまで、隣乃からすれば普通の子という印象だった。
　あんなにお笑い偏差値が高かったのかと、感心しかけたところで我に返る。
「……じゃなくて、助けるのですよ」
　ポケットを探ると、入れっぱなしの消しゴムが手にあたった。
　クマの形をした、香り付きの消しゴム。隣乃のお気に入りだ。
「行くのですクマさん、レディーのピンチを救うのです」
　くっつくのです、とかけ声を発して、バスケのシュートのように消しゴムを構える。
　ロミーに向かってスローイン。投げる瞬間、小声でつぶやく。
「左手はそえるだけ……なのです」
　きりっと眉をよせ、口をへの字にむすぶ隣乃。
　神妙なドヤ顔にレディーの概念が音を立てて崩れそうだが、スルーしておこう。
「……あうっ、なにか足にくっついて……ぺたぺたする……？」
　足を何度か持ち上げてはおろし、確かめる。
　粘着力のある消しゴムがひっついたおかげで、靴底がすべりにくくなったようだ。
「つきこ、助けてくれて……ありがとう」
「ふふん、どういたしまして、なのです」
　一件落着かと思われたその時。
「ちょ、待てっ……止まってくれ！」
　息を切らした少年の声が響きわたった。