寝子召地蔵と涙の川｜リアクション

寝子召地蔵と涙の川

　近くの花屋で買った桔梗の花と、何種類かの駄菓子を抱え、宮祀智瑜はロープウェイの座席に腰を下ろしていた。智瑜には小さい頃、寝子温泉街で迷子になって泣いていたとき、気づけば寝子召地蔵の前に座り込んでいた思い出がある。あのとき、何故だかは分からないけれど、地蔵堂のそばに座っていたら不安な気持ちがどこかへ行っていた。怖い目にもあわず無事に帰れたのはきっと、お地蔵様が守ってくれていたから……今でもそう思うから、智瑜は時々こうして花とお供えを持って行く。

「あれ……？」

　少しほこりっぽい地蔵堂の観音扉を開くと、いつもと違う様子にすぐ気づく。誰かが濡らしたわけでもなさそうなのに、何故か目元だけが濡れている寝子召地蔵。深く考えずにハンカチでその涙を拭う智瑜。一瞬、寝子召地蔵がやさしく微笑んだような気が、した。

「えっ、あれっ？　ここは……？」

　まばたきの瞬間に、風景が変わっている。アスファルトの道路、橋と道の境目あたりに立っていたはずが、智瑜の足元は河原の砂利。目の前にあったはずの地蔵堂も無い。ふしぎな感覚を通り越して不安にならないほうが難しい状況だったが、智瑜の心は何故か静かに落ち着いていた。
　耳を澄ませば色々な音に聞こえる、川のやさしいせせらぎ。いつか、迷子になってしまった自分を包んでくれていた、思い出の中の空気にどこか似た場所。

「あの子は……」

　ふと目を伏せると、智瑜の傍にはいつの間にか、十歳～十一歳くらいの女の子がしゃがみこんでいる。河原の石を積みながら、静かにしゃくりあげるその姿に、智瑜は胸の奥の奥を掴まれた。

＿＿あぁ、この子は……

　何故か、わかる。今目の前で泣いているこの子は、幼いころの自分だと。両親を亡くし、哀しみに暮れていたあの頃の自分だと。毎日、お父さんとお母さんに会いたい、会いたいと泣いては、祖父母を困らせていた幼い子供だった。今も泣き止んでいない、それは智瑜自身、心のどこかでまだ、あの頃の哀しみを受け止めきれていないせいなのだろうか。

「哀しくて泣いているの？」
「……」

　幼い智瑜の横にしゃがみ、目線を合わせ、智瑜は出来るだけやさしく微笑む。幼い智瑜は泣きじゃくるまま、言葉が出てこないものの、ちいさく頷いて返事をくれた。

「お父さんとお母さんに……会いたいよね」
「……あいたい……」

　お父さん、お母さん。その単語を耳にした瞬間、幼い智瑜の目から、より大きな涙の粒がこぼれおちる。お地蔵様の涙を拭ったハンカチで、智瑜は幼い智瑜の目元をそっとおさえてやる。ハンカチは涙を吸って、すこし、重たくなった。
　哀しいのは、大好きだったから。それは今でも同じ。だけど、哀しみだけを見つめていたら、見えないものもある。泣き止まない、幼い自分の肩にそっと手を置いて。きっと両親がここに居てくれたならそうしただろう、そう思って、智瑜は幼い智瑜をぎゅっと抱きしめた。

「もう少し大きくなったら、お父さんとお母さんに会えるから。ね？」
「ほんとう……？」

　弱々しい問いかけに、智瑜は大きく頷いてみせる。決して、嘘ではない。

「うん、必ず会えるよ。おじいさんとおばあさんの言うことをちゃんと聞いて、学校も休まないで、いい子にしてたらね。出来るかな？」
「ほんとに会えるの……？」
「大丈夫だよ……大丈夫」

　幼い智瑜が、かすかに笑ったように見えた。その頭を撫でた瞬間、智瑜はまた……地蔵堂の前に戻ってきていた。

「……お地蔵様、私、まだ迷子だったんでしょうか」

　いつものように地蔵堂とその周りを掃除し、枯れた花を換えて、お供え物をさし上げて、智瑜は感謝の気持ちを込めながら手を合わせる。もし、幼い智瑜の心がまだどこかにとらわれていたのを、寝子召地蔵が哀しんだのだとしたら……そんな風に思う智瑜の目に映った寝子召地蔵のやさしい表情は、ろっこん越しのそれだったのだろうか。