九夜山とふもとを繋ぐロープウェイに乗り、砂掛谷駅を降りて道沿いに東へ進むと見えるのが、寝子温泉というちいさな温泉街。その手前にある川にかかった橋の袂にひっそりと、ちいさな地蔵堂が建立されている。誰が建てたのか、いつからあるのか、詳しいことは誰も知らない。だが、地蔵堂とその周りはいつでも綺麗に掃き清められ、季節の花や駄菓子・果物・かつおぶしなどのお供えがある日も多いという。
地蔵菩薩とは、娑婆の衆生を救済し、特に幼くして亡くなった子供の魂を救いながら、この世とあの世を行き来しているといわれる菩薩のことを指す。転じて、子供の守り神としても広く信仰を集めており、ここ寝子島にもいくつかの地蔵堂が建てられていた。
この砂掛谷駅前にある地蔵堂のお地蔵様は、『寝子召地蔵(ねこめじぞう)』と呼ばれ親しまれている。開けた片目が猫の目のようだから『猫目』と呼ばれるようになったのが転じたとか、迷子になって地蔵堂の前で眠ってしまった子供をふもとの家に帰してあげたという逸話が残って『寝子召』になったとか、様々な言い伝えがあるが、もちろん本当のことは誰も、知らない。
そんな寝子召地蔵の目が、雨の日でもないのに時折濡れていることがある、という噂が流れ出したのは、さて……いつからだっただろうか。
誰かが拭き清めたわけでもないのに、どういうわけだか、開けた片目からまるで涙のような水滴を流しているというのだ。不確かな噂によれば、それを拭こうと水滴に触れた次の瞬間、覚えのない河原のような場所に移動させられてしまうらしい。
そこにはかつての自分……今よりも幼い自分が、河原でひとり、石を積み上げて何かを待っているのだという。まるで、賽の河原のようだ。周りには誰もいない、ただ、自分と、幼い自分がいるだけ。聞こえるのは穏やかな川のせせらぎと、幼い自分がたどたどしく石を積み上げる音だけ。
こうして市井に噂があるくらいなのだから、そこに行かされても帰ってくることは出来るのだろう。少しの間、あの頃の自分と話をしたり、遊んでやったりするのもいいかもしれない。
寝子召地蔵は、何を救おうとしているのだろう。
そんな思いを胸に抱きながら、あなたはその涙に触れる。
こんにちは、瀬島です。
神魂の影響で、九夜山の寝子召地蔵がふしぎな力を持ったようです。
お地蔵様に導かれて、あの頃の自分に会ってみませんか。
【補足事項】
1、移動させられた先の河原で会えるのは、幼い自分(本人)だけです。
ご一緒にシナリオに参加した方と交流することはありません。
NPCも登場しません。
2、何歳ころの自分に会えるのかは、アクションである程度ご指定いただいて構いません。
ただし今より確実に若く幼いです。
移動させられた先のお天気なども、こだわりがあればご指定ください。
なるべく取り入れます。
3、特にご記入がなくてもきちんと帰ってくることが出来ます。ご安心ください。
それでは、幼い皆様が語るいつかの物語を、お待ちしております。