寝子召地蔵と涙の川｜リアクション

寝子召地蔵と涙の川

　髪を伸ばすのは、実は意外とたいへんだ。もつれないように毎日きれいに梳いて、伸び放題にならないように少しずつ少しずつととのえて、中途半端な長さになって切りたくなるのもぐっとこらえて。でも、そうして伸ばした長い髪と、丁寧に編んだおさげは、乙女の象徴のようなもの。佐々寿美礼の、桃色のおさげは今日も、夏の日差しを浴びてかろやかに跳ねるように揺れている。

「……あれ？　ここどこ？」

　寝子召地蔵の目が濡れているのを見たところまでは、覚えていた。次の瞬間からの記憶があいまいなのは、周りの風景があまりにも様変わりしていたからだろうか。寿美礼が立っているのは、さっきまで居たアスファルトの道路、橋のたもとではなく、見覚えのない河原。

　知らない場所だが、いやな感じはふしぎとしない。さらさらと流れる川のせせらぎを耳に、寿美礼はどことなくなつかしい気分でしばらく、風景を眺めていた。

「……あ」

　ふと、視界の端にとらえた子供の姿。少年だろうか、青い半ズボンに白いTシャツ姿はまるで今日の空と雲のようだった。寿美礼と同じ、桃色の髪。それが、神魂の影響で見せられた幻、寿美礼の子供時代の姿だと……気づく根拠はどこにもなかったが、何故か自然にそう思えた。
　幼い寿美礼は口を真一文字に引き結び、何かをこらえるようにじっとしゃがみこんで、もくもくと河原の石を積んでいる。今の快活で明るい寿美礼の姿からはあまり想像出来ないその背中を見つめ、寿美礼はしばらくの間、何も言えなかった。

「……？」
「あ、えっと……」

　ふと、不意に振り向かれる。幼くまっすぐだけど、どこかいじけた視線。何か言いたげなその目に、寿美礼は遠い記憶を掘り返される。

＿＿思い出した……

　幼いころ、兄やその友達に交じって、男の子のように過ごしていたことを。サッカーやヒーローごっこが大好きで、それで一緒に遊べるのは兄たちしかいなくて、兄のおさがりだった青い服を着て、妹ではなくて弟だと言いはっていたことを。

「（でもそのせいで、女子のグループからは仲間はずれにされちゃってたんだよね）」

　女の子なのに、ヘン。
　女の子は青じゃなくてピンクじゃなきゃダメなんだよ。
　髪はピンクなのに、おかしい。

　シャンプーの匂いがするおしゃまな同級生に、面と向かってそう言われた記憶が、今になって胸に刺さる。そうだ、あそこで石を積んでいるのは、ほんとうは好きだったものを好きだと言わせてもらえないような気がしてかたくなになってしまった、あの頃の自分なのだ。
　寿美礼は、そっと歩み寄る。

「おねえちゃん、誰？　……ボクと同じ髪」
「……あたし、寿美礼。未来の君」

　未来という単語に少しだけ目を丸くした幼い寿美礼は、何か思うところがあったのだろう、寿美礼の目ではなく長い髪をじっと見つめている。

「あ……おさげ、気になるの？」
「べつに」

　ぷいと横を向いて石を積む作業に戻っても、ちらちらとおさげを見る目はごまかせない。寿美礼はヘアゴムを取って、指で三つ編みをほどいた。ゆるやかについた編み癖は、幼い寿美礼の目にはさぞおとなっぽく、女性らしく映ったことだろう。

「結んでみる？」
「……うん」

　立ち上がり、背中に回った幼い寿美礼に、寿美礼は髪を任せた。慣れない長い髪を梳いてみるものの、どう編み始めていいかわからない戸惑いがちいさな手から伝わってくる。

「あぁ、髪短いとわかんないよね」
「……もういいよ」
「あー、拗ねないで！　ごめんごめん」

　それでも、髪に入れた指はぎこちないながらもやさしくて。

「あ、そうだ」

　三つ編みをほどいて腕につけていたヘアゴムを外し、寿美礼は幼い寿美礼の目の前に持ってきてみせる。透明なビジュー飾りのついたそれは、幼い寿美礼なら手に取りもしなかったものかもしれない。

「これね、中学に入った時にお兄ちゃんがくれたんだよ」

　弟じゃなくても、一緒にやんちゃな遊びが出来なくても。妹でいていい、女の子でいていいんだよ。そんなメッセージがこもっているように思えて、ずっと大事に使っていたヘアゴム。

「いつか君にも、似合う日がくるよ。大丈夫」

　大丈夫。
　好きなものをちゃんと好きと言えるようになるよ。
　どっちか選ばなきゃダメって、自分を追い詰めないでいいんだよ。
　そう優しく笑いかけた寿美礼の目を見て、幼い寿美礼はぎこちなくはにかんでみせた。

＿＿閉じ込めたまま、忘れようとしてたね。ごめんね

　こころの奥底で迷子になっていたあの頃の哀しみ、その手をそっと寿美礼は引く。

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寝子召地蔵と涙の川

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