故郷での夏休み｜リアクション

故郷での夏休み

●返り咲いた牡丹と菖蒲

　ドアの音が閉まると、雅臣の目から涙が溢れた。
「ひぃぃ！？　ぼ、牡丹……？　ゆ、許してくれぇ……死にたくねぇよ……嫌だぁ……惨めに死ぬのだけは嫌だぁ……誰か……側にいてくれぇ……」
　さんざん罵声を浴びせ続けてきた雅臣のその言葉は、次第に小さくなり、しまいには聞こえなくなった。
　彼は死の間際まで、罪の意識に苛まれ、耐え切れない孤独に怯えることだろう。
（最後まで、自分の愚かさに気付かないなんて……。死ぬ時まで、恐れおののくといいわ）

　雅臣の寝室から出てきた牡丹に、待っていたあやめが駆け寄り、抱きついてきた。
「のばらお姉ちゃん……会いたかった！　お父さんもお母さんも……千唐お兄ちゃんもいなくなって、ひとりぼっちだと思ってた……けど、のばらお姉ちゃんが生きててくれて……本当によかった！」
　しばらく子供のように泣くあやめの肩に手を添え、倒れないよう、椿はしっかりと支える。
　
　涙が止まり、気分が落ち着いたところで、あやめはこう言った。

「……まだわだかまりもあるけど……いつかまた仲良く笑いあおうね、お姉ちゃん！」

「今までごめんなさい、あやめちゃん……許されるなら……また、前みたいに仲直りできないかな？」

「できるよ、きっと！　時間はかかるかもしれないけど……仲直りできるよ」
　時間はかかるだろうが、わだかまりを捨てることができれば以前のような仲の良い姉妹に戻れるだろう。
「根回しは完璧ですので、のばら様と親しい者達へ危害を加える輩はいません。それでも動くような馬鹿は……処分しておきますのでご安心を」
「椿さん、あなたはこのまま添木組に残るの？」
　牡丹の問いに、少し考えて椿はこう答えた。
「……私は、社長の側にいて、最期を見届けようと思います」
　狂人に成り果てた雅臣だが、昔は優しく、孤児だった椿を育ててくれた恩人なので見捨てることができない。
　優しかった恩人の変貌が残念でならないが、それでも、今日まで雅臣に仕えてきた。
「……すべてが終わったその後は、会社を辞め、寝子島で暮らそうかと考えています」
　千唐がいない今、牡丹とあやめを守ることができるのは椿しかいない。
（……千唐様、牡丹様とあやめ様は、あなたが望んだどおりになりましたよ。見守ってあげてください……）

「椿さん、千唐お兄ちゃんのこと何か知らない？」
　天の川鑑賞会での苦い思い出があるが、添木千唐のことが忘れられないあやめは、椿に思い切って訊ねた。
「南の島に旅行に行って珊瑚礁や熱帯魚を見たい、と仰っていましたので、今頃、楽しんでいることでしょう」
　本当はそこにはいないのだが、あやめを心配させまいとする嘘だった。
「あやめ様名義の借金ですが、すべてチャラになっていますのでご安心を。これでもう……あなたを縛り付けるものはもう何もありません。あやめ様、のばら様のこと……どうかよろしくお願いします」
　遅くなると鬼崎の叔父と義妹が心配するので、椿のリムジンで送ってもらうことに。

　帰りのリムジンでは、あやめと普段着に着替えた牡丹は並んで座ったが、どことなくぎこちなかった。
「のばらお姉ちゃん、いつかお客さんとして定食屋『おにざき』に来てね。マダオな叔父さんと義妹のつくしちゃんに、私の大好きなお姉ちゃんだって紹介するから」
「……うん、約束するね」

　ふたりを寝子島まで送り届けた椿は、雅臣の寝室へ。
　絶望の淵に叩き落された彼は焦点が合っていない目、蚊の鳴くような声で「ひとりにしないでくれぇ……」と呟いていた。
「社長、のばら様の代わりに、この青島が最期の時まであなたの側におります」
　痩せ細った雅臣の手を強く握り、椿は、その時が来るまで仕えることを決意した。

　数週間後。
　娘に見捨てられ、部下に命を狙われ続けた添木雅臣の死を見届けたのは、青島椿、ただひとりだった。