夜のお散歩｜リアクション

夜のお散歩

　玲栖は寝子ヶ浜海岸の砂浜が一望できる場所に立った。
「誰もいないのね」
　ぽつりと呟いて斜面を下りていった。
　砂浜を中程まで歩いたところで手に持っていたバケツを下ろした。中身を取り出してペットボトルの水を注ぎ込む。清涼感のある音に手を止めて少し飲んでみた。温いわね、と吐き捨てて残りを一気に流し込んだ。
「最初は線香花火よね」
　胸のポケットからライターを取り出し、しゃがんだ姿で火を点けた。紙縒りの先端が激しく燃えて玉となり、オレンジ色の繊細な火花を散らした。
　ぼんやりとした赤い瞳で飛び散る火花を眺める。
「……初恋の、あの娘を思い出すわね」
　紙縒りを持つ手が微かに震えた。先端で粘っていた赤い玉は呆気なく落ちていった。
「その初恋はどうなったのかしら？」
　黒の半袖ジャケットに同色のパンツを穿いた英モニカがサンダルを指に引っ掛けて、ふらりと現れた。肩に掛かった赤い髪は夕陽に照らされた波のようにしなやかに動く。褐色の肌に似合う碧眼は南国の海の色に似ていた。
「線香花火と同じね。儚く散っていったわ」
「余計なことを聞いてしまったようね」
「遠い昔の話よ」
　そう、とモニカは近くに腰を下ろした。両方の足を投げ出して、倒れそうになる上体を両手で支えた。頭の重みで自然に顔が上に向く。
「星が綺麗ね」
「あなた、少し飲んでいるわね」
　玲栖は新たな線香花火に火を点けた。モニカは切れ長の目で飛び散る火花を見つめた。
「……葡萄酒は命を歓ばせる」
「愉快に飲めて酔わなければいいのよね。確か聖書の教えでは」
「博識なのね。もしかして敬虔なクリスチャンかしら」
　モニカは笑みを浮かべて言った。玲栖は線香花火の細く流れる光の軌跡を見ながら苦笑した。
「ただの本好きよ。それが高じて今では司書のアルバイトをしているわ」
「そうでしたのね」
　そこで会話は途切れた。二人は線香花火の行く末を見守った。赤い玉は儚い命を振るわせて涙のような一筋を最後に落ちていった。
　モニカは玲栖に目を移した。
「私の見た目は気にならないのね」
「あなたもアタシの容姿を気にしていないわよね」
「アルビノね」
「ええ、そうよ。紫外線が大敵で昼間はとにかくケアーが大変なのよ。ＵＶカットのクリームを塗りたくるのよね。これが高いのよ、値下げしてって感じ。帽子にサングラスは必携だし、手袋も欠かせないわね」
　身振り手振りの説明にモニカは笑い声を漏らした。
「ごめんなさい、笑ってしまって。大変なのはよくわかるのよ、そのジェスチャーが、ごめんなさい」
「別にいいわよ。こんな苦労は笑い飛ばせばいいのよ。悩んでも仕方がないわ。これからも上手く付き合っていくわよ」
「素敵な人ね」
「あなた、そんな不意打ちはやめなさいよ。喋り方はオネエみたいでもアタシは男なのよ。帰国子女だから外国の人に抵抗はないけどね！」
　モニカは笑みを浮かべて、はい、と答えた。両手に付いた砂を払い落として少し表情を引き締める。
「私の名前は英モニカよ。乳児の頃に両親は強制送還になって私は孤児院で育ち、のちに英家に引き取られたわ。見た目の違いで苦しんで、その度に海にきて泣いていたわね。役場の商工観光課に勤めていて、今日は同僚との飲み会で少し飲み過ぎたようね」
「今日は泣いてないのね」
「愚痴は零したけれど、泣いてはいないわね。少し付き合いが上手くなったのかもしれないわ」
　モニカは笑って言った。
「そうよ、苦労は笑い飛ばせばいいの。アタシは多岐川玲栖よ。ピチピチの二十九才、よろしくね」
「私と同い年ね」
「あら、奇遇ね」
　二人は出会いの印に握手を交わした。モニカは打ち解けたような表情を浮かべる。
「ねえ、私にも花火をくれないかしら？　少し遊びたい気分なの」
「もちろん、いいわよ。派手なのがいいわよね」
「そうね、明るいのがいいわ」
　微かな波の音を聞きながらモニカは気負いのない声で言った。

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