おいでませ！　おひとりさま｜リアクション

おいでませ！　おひとりさま

「今日は随分と空いていますね」
　椿美咲紀は星ヶ丘ホースクラブに来ていた。
　いつもは人で溢れているホースクラブだが、夏休みとはいえ平日の昼間は意外と空いているらしい。
「いつもは、お休みの日か夕方でしたからね」
　愛馬のたてがみを撫で、美咲紀は首筋に頭をもたれかける。
　牧草の匂いが立ち込めた。
　そして目の端に、小柄な黒馬が写る。
（クロヒメちゃん……）
　いつもは他の人が乗っているのだが、今日は誰もいない。
　艶やかな黒毛で、足先だけが白いクロヒメは、美咲紀がいつも気にかけている馬だった。
（人参あげても、遠慮がちに食べるのよね）
　美咲紀はホースクラブに来る度に、愛馬と、そしてクロヒメに人参をあげている。
　食べ易いようにスティック状にカットされた人参は、どの馬にも好評なのだ。
　ただ、クロヒメだけは例外。
　嫌っていたり、嫌がっているわけじゃないのだが、他の子に対して気後れしているように見えるのだ。
　クロヒメに人参をあげていても、他の馬が来てしまえば、最初に食べていたのはクロヒメだというのに場所を他の馬に譲ってしまうほどに。
　美咲紀に対しても、最初の頃に比べて今はずっと仲良くなれている気がするのだが、他の愛想よく人見知りのない馬たちに比べると、クロヒメは一歩も二歩も離れて感じる。
（よし）
　美咲紀は、愛馬をもう一度なでて、その場を離れるとクロヒメの側による。
（今日のラッキーカラーはモノトーンでしたし、黒と白のクロヒメちゃんとも、きっと相性がいいわ）
　控えめなクロヒメを怯えさせないよう、美咲紀は丁寧に馬具をつける。
　小柄なクロヒメの背に丁度いい鞍は、薄っすらと黒光りしている。
「今日は一日中一緒に遊ぼうね」
　美咲紀はそう話しかけながら、クロヒメの首筋を撫でる。
　大人しいクロヒメが、目を細めて喜んでいるのがわかる。
「さあ、ゆっくりお散歩しましょうね」
　美咲紀は慣れた手付きでクロヒメに乗る。
　芝生の生い茂るグラウンドを、てくてくとのどかに歩き出す。
　美咲紀は無理に走らせる事はせず、クロヒメの歩きたい速度で、好きなように歩かせる。
（お馬さんに乗る時は、お馬さんに気持ちよく走ってもらう事が大前提なのですよ）
　最初はゆっくり、そして、おもむろにクロヒメは走り出す。
　緑に囲まれた青々とした空気が、美咲紀の頬を撫でてゆく。
（いつもと違う目線も、楽しいですね）
　クロヒメの尻尾のような、美咲紀のポニーテールが揺れる。
「クロヒメちゃん。良かったら、障害飛びも練習してみませんか？」
　ふと思い立ち、美咲紀はクロヒメに聞いてみる。
　クロヒメは美咲紀の仕草で理解できたのか、障害物に向かって歩いて行く。
「出来そうですか？」
　３０ｃｍ程度の高さのポールの前で、美咲紀はもう一度尋ねる。
　クロヒメは軽く鳴いて、障害物から距離をとり、地面を蹴る。
　美咲紀は手綱を握り締め、クロヒメに身を任せた。

　タンッ……！　

　一際大きく地面を蹴り上げ、クロヒメが跳ぶ。
　一瞬、空が近づいた。
「クロヒメちゃん、お見事ですね！」
　難なく障害物を飛び越えたクロヒメの首を、美咲紀は背中から抱きしめる。
　クロヒメは褒められて嬉しかったのか、それとも、美咲紀といる事が嬉しいのか。
　きっと、後者だろう。
　嬉しそうに嘶いた。

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