寝子島、停電の熱帯夜｜リアクション

寝子島、停電の熱帯夜

【AM0:18　星ヶ丘マリーナ】

　釣りを開始して１時間、ようやく引きがあった。闇夜だろうが関係ない。亜魚隈猯利、慣れた手つきで釣り上げると、懐中電灯を当てて釣果を確認した。
「やっぱりチヌ（黒鯛）か」
　引き具合から察しは付いていた。しかしさすが高級住宅街沿岸に住む魚、肉付きは豊かで色合いも良い。

　星ヶ丘の夜は静かだ。

　猯利また糸を垂らす。

【AM0:19　星ヶ丘寮】

　高級住宅街の象徴ともいっていい星ヶ丘寮。一つの町と化したこの領域は、寝子島の常識から多少逸脱した雰囲気はある。その証拠として、自家発電が寝子島内一整っていて、停電の夜だろうとガンガンに電気は使える。しかし少しでも貴重な停電の夜の景観を損なわないためか、今夜の星ヶ丘寮は暗くひっそりとしている。そういった粋な感じはやはり、上層階流のテリトリーだ。

　御巫時子は自室のバルコニーで椅子に座り、星たちを見守っていた。
（ちょっと眠たくなってきました）
　あくびが出るのを堪える。バルコニーを少し越えた先の木の幹に、夜鷹のヨタカさんがとまっていて、こちらをまじまじ見つめている。
「こんな時間まで起きている私がそんなに珍しいですか……」
　いつもは大体１１時にはベッドへ入る。ヨタカさんとは完全に生活リズムが逆といっていいだろう。ゆえにあまり交流の機会がない。停電という特別な今夜は、夜行性のヨタカさんにとっても、そしてヨタカさんと静かな時間を過ごしたい時子にとっても、またとない夜であった。
「寝子島には慣れましたか……？」
　ヨタカさんは多くを語らない。しかし寝子島が気に入っていることは気配から読み取れた。
「ふふ、安心しました……」
　そしてまた、不思議そうな顔。なぜ人間と話ができるのか、首を傾げて時子の言葉に耳を傾けている。
「ろっこんの力なのですが……私にも説明は難しいですね……」
　言葉を交わさなくても、鳥たちの気持ちが分かるときもある。それがさらにヨタカさんを不思議にさせた。
「あら……？」
　夜の空気が揺れた気がした。ヨタカさんが上空を見上げる。
「何かしら……鳥……？」
　空を大きな影が通過した。ヨタカさんが短く鳴くと、鋭爪で幹を蹴ってはばたいていく。
「今の影を追いかけるのですか……ついでに食事ですか……いってらっしゃい……」
　暗いのでお気をつけて、と付け加えそうになったが、ヨタカさんに笑われるだけだと思い、時子はまた椅子に深く腰をあずけた。

　星ヶ丘寮の門を出て行く一台の高級車があった。
「どちらへ向かわれますか」
　運転手に尋ねられ、学術書に目を落としていた八神修は、真っ暗な窓外を見ながら言った。
「そうだな……海浜公園でも歩くかな」
　車はシーサイドタウン方面を目指す。
　間もなく、修は走る４つの光を見つける。
「停まってくれ」
　窓を開くと、ピョンピョンと２匹の猫が飛び込んできた。
「熱帯夜で辛かっただろう」
　三毛猫のマーブルと気まぐれ銀猫ミスト。修の両サイドで香箱を作る。
「存分に涼んでいってくれ」

　カーラジオでは寝子島の様子を伝える投稿が多数寄せられている。
『さっき魔女を見ました！　箒にまたがって空を飛んでいたんです！　他にも見た方いませんか！？』
「このご時世に魔女だって？　幽霊と見間違えたんじゃないか」
　とはいえ幽霊の存在も信じないが。片手に学術書、片手で猫の背を撫でつつ、投稿たちに茶々を入れていく。
（よし、俺も投稿しておくか）
『車載クーラーで涼しく過ごしています』
　エコでないのは容赦してほしい。猫たちの満悦な顔を見たら、切りたくても切れなくなるものだ。

　通りに車はほとんどない。スムーズに海浜公園を目指していく。