はや瀬のぞめき｜リアクション

はや瀬のぞめき

　　【炎天下の涼やかな海】

　シーサイドタウンの一角にて。
　そこには、酷い落書きがあった。
　公園の一角の壁は、スプレー塗料での落書きによるいたずらが最近後を絶えなかった。
　描いた本人だけが絵心があると思っている。自己満足で、人を楽しませる為には生まれなかった、ある意味可哀想なカタチの群像。

　「ふむ、消すだけでは繰り返されると。
　つまり、落書きされないだけの絵を描けという事だな」
　旅鴉月詠は、人づての絵描きの噂を巡って、自分の所に舞い込んで来た依頼を断らなかった。
　まずは壁一面に青だけでも数種類の塗料を用意し、下塗りを兼ねて落書きを全て塗り潰す。
　ひとまず、これがある程度乾くまではやる事が無い。

　月詠は人気の無い時にろっこんで出現させていた小さな椅子とテーブルに腰掛けた。
　日は大分高くなったが、塗料が乾くには時間が掛かる。
　スケッチブックに、昨日の内に描いた構図を眺めながら、のんびりと水筒に入れて来た紅茶を一口。
　それだけでも物珍しいのか、何事かと島内外を問わずに人が眺めていく姿が見えた。
　──その最中、如何にもここに慣れていなさそうな観光客の小さな子供がシート内に足を踏み入れた。
　「シート内はペンキとかあるから踏んだり倒したりしないように」
　とはいえ、相手はまだ喋れもしなさそうな小さな子供だった。
　「だあ、だあ」という可愛らしい声と共に、侵入した子供の手が塗料まみれになる前に。

　乾ききらない壁の塗料にも、もみじ色の手形がつく前に、月詠は諦めた様子で立ち上がり子供を抱え上げ、シートの外へと、とんと出した。
　「す、すみません。何をやっているのかと興味津々みたいで……」
　「絵はまだ出来上がらないよ。
　まだ滞在するなら、明日にでもまた見に来るといい。
　流石に明日には出来上がっているよ。
　星ヶ丘周辺も悪くない。この島全体に芸術家達の手によるものがあちこちに見られたりする」

　観光客の親子を見送り、人の流れも引いた頃。塗料の乾き具合を見ていた月詠は背後に一つの気配を感じて声を掛けた。
　「デフォルメで簡単な似顔絵なら一枚２００円で描くよ」
　「え……？　あの、違って……。綺麗な、海の色だなって思って」
　その言葉に、月詠は白のキャスケットを直して興味深そうに振り返る。
　「海を描くのに、基本だけれども大事な色だよ。
　それが分かる人は少ないから、一枚１００円で──」
　振り返った先にいた、恵御納夏朝は慌てて月詠の言葉を留めようとして、

　「あっ！　夏朝ちゃーん！」
　その言葉は、カッパ姿に背中に大きな籠を背負って、ゴミ拾い用のトングを持った、後木真央に遮られた。

　「月詠ちゃんもいるのだ！
　真央ちゃん海でゴミを拾っていたらこんなとこまで来ていたのだ。
　ところで、ここはどこなのだ？」
　「真央。なんだ、２人とも知り合いなのか」
　「後木さん、その格好……」

　「ん？　真央ちゃん寝子島カッパ伝説ＰＲの為に頑張っていたのだ。
　そこに水褌を加えれば、一緒に夏ルックでウハウハな宣伝効果……のはずだったのだ……」
　どうも海辺での反応が、真央の想像していたものが遥かに大きかった為かいまいちだったらしく、極めて珍しくしょんぼりしてみせる。
　その普段らしからぬ様子に、２人の目も真央に釘付けになる。
　「……少し他の場所で息抜きでもするか。見張りに公園の人を呼んでこよう」
　「息抜きだったら、真央ちゃん近くに良いお店を知っているのだ！
　３人で行こうなのだ！」
　一気に元気になった真央に、夏朝も月詠も一安心の様子を見せる。

　こうして、乾きかけのキャンパスはきちんと公園の警備員に任せ、３人は真央の案内する店へと足を向けたのだった。