縁の幻路｜リアクション

縁の幻路

　慣れと言うのは怖いもので、不意に不思議な場所に引き込まれても一切動揺する事はなかった。濃すぎる霧には違和感を覚えるものの、特に危険な感じはしない。加瀬礼二はそれでも、警戒心を完全には解かずに歩き出し、ふわりとした香りに足を止めた。
「おや、遊琳センパイ。奇遇ですねぇ、こんなところで逢うとは」
「……え、礼二？」
　ヘラリと緩い笑顔を浮かべる礼二とは対照的に、弥逢遊琳が驚いたように蜜色の瞳を見開く。礼二の青い瞳が遊琳を冷静に見つめ、表情や雰囲気から幻や偽物と言った類の想像を否定する。今現在目の前にいる遊琳は、確かに本物の彼だろう。
「少し、歩きません？」
　礼二の提案に、遊琳は小さく頷くと歩き出した。

　人恋しい時、真っ先に思い出す顔はどんな人だろうか。家族でも親友でも、心に一番強く根付いている人の顔ではないだろうか。寂しい気持ちが高まり、歩き出した街中で、遊琳の脳裏に浮かんだのは礼二の顔だった。不意に飛ばされた世界で、描いていた人が目の前に現れる、それはとてもファンタジーのような出来事で、目の前にいるのが本当に礼二なのかどうか、一瞬だけ疑った。けれどそれはほんの刹那、瞬きするほどの間だけの疑心に過ぎなかった。
　目の前の人物が礼二かそうでないか、それはとても簡単な問題だった。遊琳が、礼二を見誤るはずがない。例えどんなに偽ろうとしても、遊琳の目は誤魔化せない。礼二だけは絶対に判る自信がある。その自信が少し悔しいと思うのは、遊琳が礼二を思う気持ちの強さと、礼二が遊琳に抱くそれとがイコールでないからかもしれない。
　薄着の身体に、霧が冷たく纏わりつく。遊琳がむき出しの腕を思わず抱き、バサリとシャツをかけられて顔を上げる。礼二が羽織っていた薄い長袖のシャツを脱いで、中のＴシャツ姿になっていた。
「気休め程度ですが、良ければどうぞ」
「お前は寒くないの？」
「えぇ」
　冷たくも取れるほど素っ気無い返事だったが、礼二は基本的に優しい。１０ｃｍ以上身長が違うのに、普段と同じ速度で歩けるのも、礼二が遊琳の歩幅に合わせているからに他ならない。シャツからは、礼二の香りがした。いつもと同じ香りなのに、少しだけ官能的に感じるのは、幻想的な世界の雰囲気に酔ったのかもしれない。
　ショーウィンドウ越しに可愛らしい小物が見え、遊琳は足を止めた。扉には開店と書かれた札が下がっており、様子を伺うように礼二の顔を見上げる。
「ちょっと寄り道したいな」
　礼二の青い瞳がショーウィンドウから遊琳に向けられ、ほんの少し意地悪そうに口の端を上げた後で普段通りの笑顔を浮かべる。
「そうですね、ちょっと覗いて行きましょうか」
　カランと音を立てて扉を開け、中で熱心に小物を見ていた人物が顔を上げる。高く結った黒いポニーテールが揺れ、美咲紀が輝くような笑顔を浮かべた。
「こんにちは！　学生さんですか？」