暑中お見舞い申し上げます。｜リアクション

暑中お見舞い申し上げます。

【店内はにぎわって】

　眠そうな目をした男がのっそりと、『トランプ堂』にやって来た。
「暑中見舞い……、もうそんな時期か。たしかに最近、暑いからな」
　シーサイドタウンを歩いていてたまたま見かけた画材店に入ると、宇佐美実の身体をエアコンでほどよく冷やされた空気が包んだ。
　これからの季節、外を徘徊するにも、どこも暑くてかなわない。
　そんなとき、涼むついでに店に入るとほっとする、などというのはよくあることだ。
「ん？」
　なにげなく見ていた陳列棚の中に、愛らしいウサギのハガキを見つけて、実は手に取った。
「……これ、もらえる？」
「はい。ありがとうございました！」
　愛想の良い店員からハガキを受け取ると、実は特設コーナーに腰を下ろした。
「さて……」
　暑中見舞いというからには、何かメッセージを書くべきなのだろうが、ふさわしい言葉が思いつかずに、ペンを持つ手が動かない。

　市橋奏楽が『トランプ堂』を訪れたのは、愛用のシャープペンシルが壊れてしまったためだった。
　芯が２ミリのシャープペンシルは、鉛筆のような書き心地がして好ましかった。
　字が下手な奏楽でも、ほんの少しだけ上手に書けるような気がするのだ。
「あった。これだな」
　目当てのシャープペンシルを手に取った奏楽は、レジに向かう途中、ハガキ売り場で立ち止まった。
（オリジナルの絵葉書か……）
　机に目を向けると、そこには熱心にペンを動かす人々の姿がある。
　奏楽もハガキを手に腰かけて、自分なりのハガキを作成することにした。
（描くのはやっぱり、あの景色かな）
　奏楽は手帳を取り出すと、いつも入れている写真を見ながら、エノコロ岬の絵を描き始めた。
　思い入れの深いこの景色は、無くなった両親の好きな場所で、奏楽自身、幼いころに幾度も家族で訪れたのだ。
（春も夏も秋も冬も、それぞれにきれいで、楽しかったな）
　両親と過ごした時間をまざまざと思い出し、胸がじんわり温かくなる。
　絵の具と色鉛筆を使用して、なじみ深い岬の風景を描きながら、奏楽は心の中で両親に語りかけた。

（父さん、母さん、俺は元気にしています。
　弱い俺は、父さんと母さんの事を言い訳に……、ピアノから逃げてしまいました。
　けれど、今は少し違う。
　もう一度、ピアノと向き合っています。
　まだ道には迷いっぱなしだけど……、
　俺には、思い切り背中を押す……というか、
　蹴り飛ばしてくる、頼もしい弟がいます。
　だから、大丈夫。
　安心して、見守っていて下さい――）

「よし」
　奏楽が完成させたハガキには、文字は入っていなかった。
　手帳をしまう奏楽に、隣の席に腰かけていた実が声をかけた。
「その灯台、エノコロ岬だな」
「あ、はい。そうなんです」
「そこからだと、月がきれいに見えるんだ」
「へえ……、ああ、でもたしかに、そうかもしれませんね」
「ああ」
　エノコロ岬は、非常に見晴らしの良いところだ。
　住宅街や幹線道路からもある程度の距離があることから察するに、空もきれいに見えるのだろう。

「ここ、いいかな」
「はい、どうぞ。……あ」
　斑鳩遙が奏楽の隣に座ろうとして顔を見合わし、互いに小さく声をもらした。
「こんにちは」
「どうも」
　どちらも名前は知らないが、以前大学ですれ違ったことがある。

　遙のことを同年代とみて、実が話しかけた。
「おたくも暑中見舞いを？」
「職場の関係者にと思ったので」
「マメだねぇ」
　マメかどうかはともかくとして、遙は購入した絵葉書に、宛先をすらすらと記入していく。
　本土出身の遙だが、実家の人間とは元より疎遠だ。
　成人後に寝子島で就職してからは、その傾向はいっそう強まり、今では他人も同然だった。
　消耗品の文具を補充しに来たついでに買った絵葉書を送る先として、職場の人間を選ぶのは妥当な判断だった。

　もくもくと宛先を書いていく遙の隣で、奏楽も宛先を書くためにハガキをひっくり返した。
（けっこう夢中になって絵を描いてしまったな）
　ひたむきに手を動かすことで、思いもかけず、自分を見つめ直す時間が得られたように思う。
　奏楽は両親の名前を書きかけていた手を止めると、わずかにかぶりを振り、目元をほころばせて弟の住所と名前を記入した。
（ハガキが届いたら、どんな顔をするかな）
　さっそくハガキを投函しようと、奏楽は席を立った。
「それでは、お先に失礼しますね」
　両隣の実と遙に挨拶をして店を出る奏楽の顔は、どこかすっきりとした面持ちだった。

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暑中お見舞い申し上げます。

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