【タイヤキ・ラプソディ】

「よー、おやっさーん鯛焼きひとつ！」
　快活に注文を飛ばした、こちらも常連客の一人であるらしい、握 利平であったが。
「……ん？　どうしたおやっさん、何か渋い顔してるじゃねーか」
「ああ……こりゃ、毎度どうも」
　主の板谷の表情は、冴えない。昨今なかなか見ないほど、がっくりな落ち込みようだ。
　いつもは板谷一人でやっている店に、何やら手伝いらしき人間が何人か見られることにも、利平は怪訝そうな顔を浮かべる。
「あら、あんたも来たの？」
「って、神無月？　そんなとこで何やって……」
　その内の一人は、利平も顔馴染みの神無月 ひふみであったが、
「まあまあまあ！　まずはひとつ、これを食べてくれるかな」
　隣の神野 マキナが差し出したのは、店主板谷が丹精込めて焼き上げた、いつもの鯛焼きである。利平は顔を輝かせつつそれを受け取ると、
「おう、サンキュー！　そうか、バイトを募集したのか。いつもはこんなに繁盛してねーもんな、ははは。じゃ、いただきまーす！」
　ぱくり。一口。
　もちろん、利平が想像する板谷の鯛焼きといえば、優しい甘みともっちりした皮の見事なハーモニー、まさに５５年培った職人技の成せる業。これこそが、鯛焼きの中の鯛焼き……。
　と、言ったところであったはずなのだが。その時利平に、衝撃が走る。
「……っ！？　こ、これは……鯛焼きの見た目からは想像すらつかない、爽やかな酸味……そして鼻からスーッと抜けていく、清涼なこの香り、これは……これは！」
　食べかけの鯛焼きをびしりと頭上へ掲げ、叫んだ。
「ライムミント味ッ！」
　およそ鯛焼きに挿入するにふさわしい食材としては、なかなかに遠いフレーバーであった。
「おやっさん、こいつは新しいぜ！　そうか夏の新商品か、こいつがギャルの心をワシ掴みしちまったんで、こんなに繁盛してんだな。いや、さすがだぜおやっさん！」
　などと褒めちぎる利平をよそに、店主板谷は改めてがくりと肩を落とし、解せぬ……とつぶやいた。
「それはそうと、いや、こいつも美味いけどな！　美味いんだけど、次はほら、普通のを一個……」
「普通のを……焼いたつもりだったんですよ……」
「え？」
　ちょっと良く意味が分からない。普通って何だっけ？　今も、利平の鼻腔はスースーと良く通り、実に爽やかな塩梅なのだが。
　ひふみに顔を向けてみれば、彼女はマジメくさった面持ちで、うん。とうなずくのみ。
　マキナを見れば、彼女も、うんうん。
　と、そこで利平には、はたと気づくことがあった。そう、こんな不可解で不条理な出来事には、幾度もお目にかかったことがあったのだ。
「あー……アレか。そういうパターンか」
　うんうんうん。

「グホッ……！　こ、この粘りと苦みの強力なコラボレーション……こいつは、オクラレバー味か！」
「……という感じで、普通に焼いたはずの鯛焼きが、予想も付かない味に変わっちゃうみたいなの」
　利平の渾身のリアクションをサンプルに、岡野 丸美の説明は、実に分かりやすかった。散歩がてらに人だかりを見つけて立ち寄ったとうふ屋の娘、西野町 かなえはうなずきながら、
「へーっ、それは面白そうやね！」
　と目を輝かせる。
「えっ、中身に何を入れても、味が変わってまうのん？　餡子だけじゃないんやね」
「そうみたい。さっきの人は、試しに酢こんぶを入れて焼いてもらったら、味噌バターラーメン味になっちゃったんだって。……んーっ、これも美味しいなー♪」　
　という丸美が幸せそうな顔で頬張っているのは、抹茶あんみつ味。これまでに飛び出したラインナップの中では、なかなかのアタリである。グルメさんに見えて意外と味に頓着の無い丸美は、先ほどからそれなりに強烈な味も引いていながら、どれも実に美味しそうに平らげていた。
　アタリが出れば、
「ねえねえ神野さん、神無月先輩、これも食べてみて！」
　調理を手伝う二人へ、一口大に千切った鯛焼きをお裾分けしては感想を尋ねる。抹茶あんみつ味は、どうやら二人にも好評のようである。
　と、何か思いついたらしいかなえが、
「あ、そんなら……ねえ、おじいさん！」
　さ、と鞄から取り出したのは……旧市街に店を構える『西野町とうふ店』特製の、純白の豆腐。いざという時のため（？）持ち歩いているというのだが、豆腐が必要になるいざという時って……あ、まさに今がそうだった。
「うちの豆腐で、たい焼き焼いてくださーい♪」
「とうふ……ですかい？　はぁ、焼けと言われりゃ、もう何だって焼きますがね……」
　ポリシーに反する変りダネ鯛焼きをいくつも焼いているうち、いよいよもってやさぐれてきた様子の板谷だが。ひふみとマキナの勧めもあって、渋々ながら鯛焼きの生地へ、豆腐をイン。
　やがて焼き上がった二つの鯛焼きを、かなえに手渡す。両手に一つずつ受け取り、かなえはにこにこと楽しそうである。
「見た目は普通の鯛焼きやね……おいしそー。いただきまーす♪」
　まずはひとつ、右手の豆腐入りたい焼きを、ぱくり。
　もぐもぐもぐ……かなえの表情が、ぱあっと輝く。
「この爽やかな香り、甘さは……チョコミント味や！」
　鯛焼きの具としてはあまり見ないが、アイスクリームなどでは定番のチョコミント。かなえの口には合ったらしく、
「あはは、面白いな～♪」
「でしょー？」
　試食係の丸美と二人で、にこにこと幸せそうに頬張っている。
　右手のチョコミント鯛焼きを半ばほど食べたところで、さーて、こっちのは何味やろー？　と、期待に胸膨らませつつ、かなえは左手の鯛焼きもぱくり。
　ひとしきりもぐもぐもぐとやった後に……その表情が、一変する。
「……いっ……いっ」
「い？」
　怪訝そうに頭を傾けた丸美をよそに、目を見開き、かなえは高らかに叫んだ。
「いーーーやーーーっ！　こっ、これ、納豆味やん！　やだあああああああ！！」
　どうやらかなえに納豆は、すこぶるクリティカルヒット、これ以上に無い大外れだったようである。
　思わずぴょいっと放り出してしまった納豆味鯛焼きは、
「わっ、わわわ！？」
　丸美が慌ててキャッチ！　事なきを得た。
　かなえはしばし、湧き上がる衝動の赴くまま、そこらじゅうをどどどどどーっと駆けずり回っていたが。
　やがて落ち着いたのか、ぜいぜいと肩を上下させながらも戻ってくると、
「はあはあ……え、えらい目にあったで……もうっ、口直しや！」
　右手のチョコミント鯛焼きをぱくりと口へ放り込んだところで、丸美の手の中の納豆味に気づく。
「あ、ああ……ありがと、食べ物粗末にしたらあかんよね。けど……良かったらそれ、食べてくれへん？　うちには無理や……」
「えっ、いいの？　ありがとう、いただきまーす！」
　先ほどから、なかなかに味覚の鉄人ぶりを発揮している丸美を目の当たりにしての頼みである。丸美はありがたく納豆鯛焼きを平らげると、幸せそうな笑みを浮かべ、かなえはそれを信じられない、といった顔で見つめていたりした。

　鯛焼きをぱくりとやる利平、口いっぱいに広がるのは、
「この香ばしさは……焦がしにんにく味か！　悪くねぇ。さてこっちは、もぐもぐ……熱っ！？」
　とんこつスープ味だ。ご丁寧に、舌をヤケドするほど熱々の。彼のオーバーアクションはいちいち周囲の笑いを誘い、かなえも大笑いである。
「あっ、ねえねえそれ、うちが焼いてみてもええ？」
　かなえが申し出ると、調理を手伝うひふみとマキナは、ランダム鯛焼きを焼くのに手いっぱいの板谷に代わり、
「ええ、もちろん。お手伝いは多いほうがいいわ」
「お客さんも、まだまだ増えそうだしね。一緒に頑張ろう！」
　そう言って歓迎した。
　なるほど、店先の客の並びは引きも切らず。先ほどひふみが、客寄せのためとねこったーで更に情報を拡散した効果もあり、この先もなかなか、忙しいことになりそうだ。