【氏名：邪衣 士】

　自室で目覚めた士の視線の先には、机の上で山と積まれた書類の束。
　ここ、描鳴館に身を寄せながら自治会長も務めている士にとっては、ごく見慣れた……いつもと同じ朝。いつもと同じ光景。
　そのはず、でした。
「……ん？　何だ、これは……？」
　朝の身支度を済ませてから早速机につき、積まれた書類の整理を始めようとした士は、それに気づきます。
　いささか乱雑に置かれ、不揃いの書類の山にちらほらと見受けられる、その単語。
「死亡、申告書？　妙なものが混ざってるな……どれ」
　どうせ悪戯か何かだろうと、あまり真剣に読む気にもならなかったものの。士は一応の確認のため、該当の部分の書類束を引き抜くと、ざっと目を通していきます。
　死因、孤独死。
　死因、心臓麻痺。
　死因、溺死。
　書類には、それぞれに日付が併記されていましたが、そのいずれも、士が寝子島高校へ入学する前を示しているようです。何より、
「……死因、転落死。これは、あの時のもの……か？」
　一枚だけ、やけにかすれた文字で書き入れられている名前は、士。しかし、その苗字は邪衣では無く。それについて、士には大いに心当たりがありました。
　つまり。これらの死亡申告書とやらは、過去に彼が直面するはずだった、死の数々を示している……？
「悪戯にしては手が込んでいるな……ん？　ここから先は、日付がまだ先だな……」
　山と積まれた書類には、先の未来の日付を差しているものがいくつかあることに、士は気づきます。
　記された死因は、実に様々。中には過労死などというものもあり、士は余計なお世話だ！　と内心突っ込みを入れつつ……特に興味を引かれた、かすれた文字で記入された一枚を引っ張り出し。
　そして、読み始めるのです。
　日付は、今から八年後。死因は、事故死と事故死、後に水死。

　気づけば士は、彼の家族たちと並んで、歩道をゆったりと歩いていました。
　そうだ、皆で海へ行くところだったんだ。彼らは楽しく談笑しながら、潮風の香りを頼りに歩みを進めます。
　……そこへ。
「！？　あ、危ないッ！！」
　前方から、大型のトラックが凄まじい速度で突っ込んでくるのが見え、士は咄嗟に家族をかばいます。
「ぶへえっ！？」
　跳ね飛ばされ、あっさりと宙を舞う士。
　続いて、ちょうど示し合わせたようなタイミングで差し掛かった消防車の真っ赤な車体が、更に士の身体を、空へと高く、高く舞い上げます。
「ぐはあっ……！」
　ゴムまりのように弾き飛ばされ、飛んでいく士。その先には、奇しくも彼の目指していた、青い海が広がっていました。
　やがて、ぽすん、と砂浜に到着する士。その身体は満身創痍で、血にまみれてぼろぼろの彼の様相に、周囲の海水浴客がわあっと叫んで逃げ出します。
　と。
「…………ああ、いかん。子供が、溺れているじゃ、ないか……」
　彼は、立ち上がります。未だ強い光を宿すその視線の先には、確かに、海中で手足をばたつかせる小さな男の子の姿がありました。
　士は走り出し、ためらわずざぶんと海へ飛び込みます。力強い泳ぎでぐいぐいと子供へ近づき、その細い腕を捕まえると、彼は引き返し。
　浅瀬へとたどりつき、男の子を浜へと押し上げたところで……。
「ぷはっ、た、助けてくれてありがとう、お兄ちゃん。死ぬかと思った……あれ？　お兄ちゃん？」
　男の子の目の前に……士の姿は、ありませんでした。見えたものは、押し寄せたひとつ大きな波が、遠い海の彼方へと戻っていく……ただ、それだけ。
　その後、駆けつけた家族たちと士が再会を果たすことは、二度とありませんでした。
　彼は、永遠に……深い海の底を、さまよい続けるのです。






【氏名：三ヶ島 葵】

「『ミッドナイト・フリーキー・ショウ！』」
「おおー、これが噂の番組かぁ。都市伝説、ってことで知ってはいたけど、見るのは初めてだねー」
　近頃、葵の周りでまことしやかに囁かれる、とある噂。それが実体験として自身の身に振りかかろうとは、もちろん彼女も思ってはいませんでした。
　深夜、周囲がすっかり寝静まった頃に始まった、謎の番組。
　今回のテーマは、死亡申告書。テレビの画面の中で繰り広げられる、不可解で不条理で、理不尽な死のシーン。葵は持ち前の強い好奇心をこれでもかと刺激され、食い入るように画面へ集中し、番組へ見入ります。
　と。
　ふいに、自室のインターホンが鳴り響き。続いて、かたん。という音が、郵便受けに何かが投函されたことを告げます
「？　こんな時間に、なんだろうねー？」
　時刻は既に午前二時を回り、訪れる者もそうはいないだろうと思われる、こんな夜更けに届く郵便。葵はいぶかしく思いながらも、それ以上に興味をそそられ、玄関扉に備え付けられた郵便受けを開いて、薄っぺらい封筒を取り出します。
　差出人は、なし。切手や住所はおろか、あて先も書いていない封筒を開くと、中からは、一枚の書類が顔を覗かせます。
「おおー……まさか、選ばれちゃうとは思ってなかったけど。ほんとに来るんだねー」
　それは、死亡申告書。葵自身の名前が書き入れられた、今まさに番組の中で取り上げられている、奇妙な書類でした。
　好きなものは、面白いこと。怪異や心霊などの噂を追い、いつでもそれを撮影できるようにとカメラを持ち歩き。新聞部の取材と称しては様々な方面へと首を突っ込まずにはいられない、そんな葵だからこそ。
　彼女は、その書類に記されている、自らの死因を読まずにはいられないのでした。
「……わー。これはまた、ろくでもない死因だねー？」

　鉄パイプ。バット。角材に、木刀に。
　薄暗い部屋へと連れ込まれた葵へめがけ、ありとあらゆる方向から殴打が襲います。
「お前の書いた記事のせいで、俺は……っ！」
「あんたのせいよ！　あんたがあんなこと、書かなければ……」
「思い知れ！　俺たちの受けた痛みを……お前も、思い知れッ！」
「い……痛いっ！　痛い、痛い、痛い、やめてよ、痛い、痛……っ！」
　自分の身体が壊れていく嫌な音と感触に、葵は耐え切れず、必死に叫びます。
「あ、あああああ！　ゆ、許して、もうしない！　もう書かないからッ！　お願い許して、ごめんなさい、もう、もう許っ、あああああ！！」
　葵の懸命の謝罪も、懇願も、耳には入らないかのように。一方的な暴力は止まりません。
　痛みはやがて葵の許容量を越えて、彼女の意識を、抵抗の意思もろともに剥ぎ取っていきます。
　ぼご。叩き込まれた木刀の一撃が、一際大きい、鈍く重たい音を響かせ。そして、葵は……。

「……たい痛いもう許してもうしない書かないから許して痛いからいたいのはもうやだゆるしてゆるっ！？　あ、あれ！？」
　気がつけば。葵は、自室の床へ直に寝転び、じたばたと手足を必死に動かしているところでした。
　さああああ。という音のほうを向けば、そこには、放送を終えたテレビの画面を吹きすさぶ、白黒の砂嵐。
　夢、とは到底思えない、リアルな体験。身体に異常は無いものの、脳に刻まれたあの痛みを、葵はまだ鮮明に思い出すことができました。
「……うわー。わー……」
　ぶる、と、ひとつ。身を震わせて。
「好奇心は猫をも殺す、だねー……これからは、身の安全に気をつけようと思うんだよー……」
　葵は決心すると、つけっぱなしのテレビの電源を、ぷつりと落とすのでした。






「……んふふっ」
　どこか不安をあおるような、奇怪な曲が流れ出し。胡乱路 秘子は、目を細めて笑い。
　今回の番組は、間もなくここに、ひとまずの終幕を迎えます。
「人の死、そこへ至るまでの過程は、実に千差万別。ですが振り返ってみれば、死とは、人が一生をかけて積み重ねてきたものがそこへ結実した、必然の結末なのかも知れませんね」
　強い風が吹き抜ける、高い屋上。柵もない縁に立つ秘子の長いスカートが、ばたばたと翻ります。
　そこへ。
「一見、理不尽に見える死だとしても。それはもしかしたら、あなたがこれまでの人生において、知らず知らずのままに犯してきた罪に対する、至極もっともな罰なのかもしれませ」
　どんっ。突然、画面の外から走りこんできた一人の女性が、秘子の身体を強く押します。
　秘子の姿はふっと消え、やがて遥か下のほうで、ぐしゃ。という音が、かすかに聞こえてきました。
　一際、強い風が吹き。
　どこからともなく飛んできた一枚の紙、カメラへべったりと張り付いた、そのＡ３サイズのちっぽけな書類に書かれているのは、氏名、胡乱路 秘子。死因、恨みを買った人物に高いビルから突き落とされての、転落死……。