勿忘草の誘い｜リアクション

勿忘草の誘い

【羽根休めの香り】

　その日御巫時子は着慣れた着物姿で街歩きを楽しんでいた。
　日差しが強くなり、汗ばむ日も多くなってきたが夏用の生地で仕立てた着物は着心地が良い。

「あら……？」

　人の多い大通りを避け、隠れ家的カフェや輸入雑貨店などがひっそり並んでいたりする静かな通りに入ると同い年くらいの少女二人が仲良くある建物から出てきた。
　日傘をさしている優雅な少女達の手には可愛らしい包みがあり、気になった時子もその建物の中を覗くことにした。

「香水……」

　壁に備え付けられたたくさんの瓶と店の中に漂う香りでこの店が香水を扱う店だと言うことはすぐに解った。
　時子には香水をつけるという習慣はなかったが、少し心惹かれるものがあった。

「こんにちは、マドモワゼル。何かお探しなら相談に乗るよ」

　由季也に声をかけられ、時子はしばし考えたあと首を傾げながら尋ねた。

「贈り物をしたいのですが、香水を使われるような方ではないと思うので……香り袋のようなものはありますか……？」
「ああ、香り袋も扱ってるよ。香りも形も色々ある」

　由季也は棚上から香り袋の詰まった籠を下ろすと時子の前に広げて見せた。

「その人の香りのイメージとかあるかな？」
「思いつくのは薬品と、コーヒーでしょうか……」
「ふむふむ、年上の、仕事熱心なタイプって感じみたいだね」

　仕事熱心、とは少し違うかもしれない。
　しかし時子が想いを寄せる五十嵐尚輝は寝食より実験をしている時間の方を大切にするような、そんな人間だった。

「あまり、寝ない方のようなので……眠気を誘う、リラックスできるような香りが良いと思うのですが……」

　尚輝の体のことを気遣いリクストする時子に、由季也は顎髭を撫でながら頷いた。

「D'accord！　それならとっておきの香りがあるよ」

　そう言って由季也は時子の手の上に鶯色の生地に金糸で花鳥紋が縫い込まれた香り袋を乗せた。
　時子が顔を近づけるとラベンダーの香りと、果物にも似た甘い香りがした。

「ラベンダーとカモミール・ローマンにちょっとオレンジも足した鎮静作用のある香りだよ。頭や体の緊張を解いてくれるはずだ」

　華やかではないが、じんわり沁み入る穏やかで優しい香りは尚輝にも馴染みそうだった。

「袋の生地は元々着物なんだ。見た所君は着物を愛用しているし、贈り物なら贈り主をちょっと連想させるようなアイテムがいいかなと思ってね」
「ありがとうございます、では、これを二つ……」
「二つ？」

　由季也が聞き返せば、時子はほんのり頬を桜色に染めて頷いた。

「その……自分用に……」

　いじらしい乙女に無粋なことを聞いてしまったと由季也は反省しつつ、お詫びも込めて鳥の形をした文香栞を添えて綺麗にラッピングした香り袋を時子に渡す。

（先生に受け取って貰えるといいんですが……）

　尚輝の顔を頭に思い浮かべ、袋を受け取った時子は幸せそうに微笑んだ。